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『鹿の王』が問いかける医療と病

『鹿の王』を読み終えたとき、今このタイミングで、自分がこの本を手に取ったことに不思議な驚きを感じていた。

なぜなら『鹿の王』は、”黒狼熱”という感染症をめぐる国と民族、そして人々の物語だったからだ。

あらすじを全く知らず、ただタイトルに惹かれて読んだ私。まるで今の世界を投影しているかのような展開に、驚愕した。

今こそ、読むべき1冊だったのかもしれない。

『鹿の王』上橋菜穂子(うえはし なほこ)| KADOKAWA

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あらすじ

『鹿の王』の舞台は、東乎瑠(ツオル)帝国の支配下にあるアカファ王国。この地で、その昔オタワル王国を滅ぼした"黒狼熱"とおもわしき病が現れはじめる。

主人公のひとりは、"黒狼熱"が蔓延した岩塩鉱で唯一生き残った、かつての〈独角〉の戦士、ヴァン。もうひとりは、オタワル王国の末裔で"黒狼熱"の治療法を探す、医術師のホッサルだ。

ヴァンとホッサルをはじめ、多数の登場人物が、それぞれの思惑を持ちながら”黒狼熱”の真相を追っていく。これが『鹿の王』のあらすじである。

はじめは”黒狼熱”の大流行を防ぐべく、ホッサルを筆頭に治療法を模索する。だが次第に、病の裏にひそむ政治的な動きがみえてくるのが面白い。様々な民族、立場におかれた人々の複雑な関係性、歴史、価値観が絡みあっていて、一読だけでは抱えきれないほど壮大な物語だった。

続きが気になってしょうがないような、スリルもある。でも『鹿の王』はそれにとどまらず、はっと立ち止まって考えさせられるような深さも散りばめられている。

現実世界に通じる多様性

この物語には文化も背景も違う人たちが多く登場する。その分、考え方も違う。

”黒狼熱”の重症患者に、ホッサルが新薬を打つべきか迷う場面がある。新薬は、過敏反応や身体への悪影響を及ぼす恐れがあった。アカファ人の患者は、「生き残る可能性にかけたい」と、危険を承知のうえで新薬を打つ。

一方で、東乎瑠(ツオル)人は、ホッサルが動物の血から作った薬を打とうとしない。命が危ないとしても、獣の血を体に入れることは、信仰する清心教に反するからだ。

東乎瑠人の呂那師は、ホッサルに言う。

「私共が救いたいと願っておりますのは、命ではございません」

「私共が救いたいと願っておりますのは、魂でござりまする」

儚く消える命の哀しさを救うために、医療を研究してきたホッサルにとっては、衝撃的な言葉だった。命が助かる可能性があるのに、その選択をしないことが理解できなかったのである。

現実の世界も同じだ。医療に対する意見は千差万別で、明確な正解はない。

医療は万能ではない

私が目から鱗だったのは、このシーンについて書いた夏川草介さんの解説だった。内科医でもある夏川さんは、こう書く。

「一方で私の本質的な哲理は、意外なほど呂那師に近い。ホッサルの黒狼熱に立ち向かう情熱に打たれつつも、彼のように病について「いずれ必ず隅々まで明らかになる日がくる」とは感じないし、リムエッルのように医学に対する万能感もない。医師が努力した分だけ患者が助かるのであれば、そんな気楽な世界もないという、ある種の暗い諦観が常に胸の奥底に沈滞している。」

これを読むまで私は、科学的な思考を持たない呂那師より、ホッサルの考え方に同意していた。でも、医者として医療の最前線に立つ夏川さんの言葉を読み、改めて考えさせられた。

別の場面では、アカファ王のこんな言葉がある。

「どこまで手を伸ばそうとも、届かないところがある。それらは、神々と悪霊の領域で、私たちはそのような、なにか途方もなく大いなるものに包まれているのだと、私は日々感じています」

ホッサルのように、”途方もなく大いなるもの”に立ち向かってきた偉人の努力が積み重なり、私たちが享受する医療はここまで来た。でも、生命はどこまでも未知のままだ。その果てしなさは、最前線に立ってこそ痛感するものなのだと思う。

また、医療を万能と捉えてしまった時、その傲慢さはきっと私たちに牙をむく。生命も病も常に、私たちが思いもよらない変化を遂げていくからだ。これからも”絶対”はなくて、私たちはそんな世界と共存しながら生きていくんだろう。

ヴァンが見た景色

ただ『鹿の王』は、だから諦めろ、と言っているわけではない。最後にヴァンが語るのは、偉人たちが必死な研究を続ける医療を含め、生を追う私たちを肯定する言葉だと思う。

「たしかに病は神に似た顔をしている。いつ罹るのかも、なぜ罹るのかもわからず、助からぬ者と助かる者の境目も定かではない。(中略)だからといって、あきらめ、悄然と受け入れてよいものではなかろう。なぜなら、その中で、もがくことこそが、多分、生きる、ということだからだ。」

”絶対”がない世界で、今もコロナの感染は広がり続けている。予防接種の是非が議論され、行動が問題提起され、なにが正解なのかわからない。それでも私たちは『鹿の王』に登場する人々のように、それぞれ自分で考え、選択していく必要がある。

自分、そして”自分たち”が生きていくために、何を選択するか。

『鹿の王』は、まさに今の私たちに問いかけているのかもしれない。

なお、『鹿の王』はどうやら、今年の9月10日に映画も公開されるようだ。やはり今、注目されている作品だったのですね。

映画『鹿の王 ユナと約束の旅』公式サイト