日曜日のなのはな

北極を探しにいく・日曜日更新+気まぐれ

怒らないことはいいことか

子どもの頃から私は、怒らないことが正しいのだと思ってきた。

小学生時代は私と友達2人で「仲良し3人組」の構図がよくできたものだが、私以外の2人がケンカするのがいつものパターン。

姉妹でも喧嘩した記憶はほとんどない。もっとも、私が歳上の権威を振りかざして従わせていただけかもしれないが。家族の前ではイライラした様子を出してしまったりするけど、爆発的に怒ることはなかった。

そもそも私は、感情がすぐに表に出るタイプではないし、小心者で他人に強く言えない性格である。

ただ、それだけではない。瞬間的な怒りは大抵の場合、自分の身勝手な感情が理由だと思っていた。私が、自分の嫉妬心や後ろめたさから他人に怒る筋合いはない。

怒りが湧いた時、それが果たして自分勝手な感情なのか、そうでないのか。瞬時に判断して怒りの正当性を説明できる自信がないから、いったん押し込むクセがついた。だからなのか、穏やかだとよく言われる。

でも社会に出ると「それって本当に良いんだっけ?」と思う場面が増えた。

仕事の関係者が納期を守ってくれない。質の悪い対応をする。そのとき怒りをみせないと、改善しないときがある。それは、顧客を守るために必要な怒りなんだと思う。

職場で、年齢に関する失礼な言動をされた。私は曖昧に返してその場を受け流したけど、あとから考えたらめちゃくちゃ失礼な発言だった。受け流すのは簡単だけど、そうすると私は再び不快な思いをするかもしれない。また相手は失礼な発言とも気づけず、別の誰かに同じことを繰り返すかもしれない。

相方への怒りや不満を我慢しつづけると、いつか爆発して取り返しがつかなくなることがわかった。あるとき、自分が怒っている理由と改善してほしい点を泣きながら説明したら、相方はちゃんと向き合ってくれた。

世間には、色んな立場の人の色んな感情と価値観がひしめき合っている。そのなかに私の感情もある。それらは、正しいか間違っているかというモノサシでは測りきれないものだと思う。

私は、私の気持ちを大切にしていい。

なんでもかんでも怒る人にはなりたくない。でも自分の尊厳を守るための怒りはときに必要だと思った。

長年のクセで鈍感になってしまった、怒りのアンテナをちゃんと立てて、自分の気持ちを伝える行為を怠らないようにしていきたい。

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