7月18日。達者でな
おじいちゃんが死んだ。
火曜の朝、母から来た知らせはあまりにも唐突だった。まるで電気のスイッチをぷつりと切られたようにあっけなく、「え、そうなん」とつぶやいたまま思考が前に進まなかった。
確かに、おじいちゃんの余命がもう長くないことは聞いていた。そもそも、私の祖父母はみな高齢だ。いつ何があってもおかしくない。だからショックではなかった。でもおじいちゃんに病気が見つかったと聞いたのはつい数日前の出来事で、そのときは余命残り2ヶ月から4ヶ月とか、そんな話やった。お盆休みに会いにいくつもりだったのに。おじいちゃん、さすがにちょっと早すぎるよ。
そんなことを思いながら、喪服の靴はどうしようか、大昔に親が用意してくれた数珠はどこにやったかと、慣れない支度をなんとか進めた。
式場は、実家のすぐ近くの会館だった。 連絡をうけて初めて、ああそういえばそんな場所があったと思い出す。ありがたいことにそこは、これまで私の家族に縁のない場所であり、近くて遠い存在だったのだ。
会館が近づくにつれ、私は少し怖くなった。おばあちゃんはどんな様子なんだろう?今の私はまだ実感が湧いてないけれど、みんなの空気がとてつもない悲しみに包まれていたら、私はそれに耐えられるだろうか。会ってしまったら一気に現実が押し寄せそうだった。
でもそんなのは杞憂だった。迎えにきてくれた母の声はいつもと変わらない。父も相変わらず、飄々としている。会館の控室に入ると、おばあちゃんは丁度化粧直しにとりかかっていたようだ。孫が来るだけなのにと笑ってしまった。
会館の控室は新しく、広くて立派な浴室もある。ゆったりとくつろぎながら「旅館に泊まりに来たみたいね」と言うおばあちゃんはどこか嬉しそうだ。おばあちゃんがちょっと茶目っけのある顔でウフフと喜ぶので、私も嬉しくなった。今夜はおばあちゃんと妹と私の三人でここに泊まる予定なのだ。
一度おじいちゃんに挨拶しとき、と母に言われて告別式の会場に入った。同じ階にある会場はこぢんまりと、しかし華やかに飾られていた。
お棺の窓を開けてもらう。そこには眠っているようなおじいちゃんの顔があった。「綺麗な顔してるやろ」と母が言う。でもよく見ると、口の横に1本だけヒョロっと髭が生えている。それがあまりにいつものおじいちゃんで、私は何かの感情が込み上げそうになるのを飲み込み、うん、と笑った。
夕飯はおばあちゃんを連れてちょっと良いファミレスに行った。私は父母に甘えて一番豪華なシーフードプレートを頼んだ。パンが美味しいお店なので、みんなでパン食べ放題もつけてしまう。するとみんな、私よりモリモリと食べて驚いた。おばあちゃんなんて6個くらい食べていた。
夕飯を食べ終えると、多忙な伯父が白いワイシャツを持っていないと連絡してきたので、代わりにみんなで買いに行こうと閉店間際のユニクロにバタバタ駆け込んだりした。
会館に戻ると、妹が東京から帰ってきた。私と同じようにおじいちゃんと対面した妹は、途端に号泣していた。泣き虫な妹のあまりに予想通りすぎる反応で、少し笑ってしまった。
父と母が帰り、控室にはおばあちゃんと妹と私の三人が残る。いつもと違う空気感に心なしかわくわくする。
私たちが買ってあげたワイシャツを、この後伯父が取りに来るらしい。それを待ちながら、おばあちゃんが思い出話を語ってくれた。おじいちゃんは高校の同級生だったこと。勉強もサッカーもよくできたこと。だからたまにしか練習に行かなかったけど、おじいちゃんは上手なので特別に許されていたこと。足がとても速かったこと。でも、そんなおじいちゃんの血を受け継いだはずの父と妹と私はなぜか足が遅いねんなあ、と三人で笑った。
おじいちゃんが今年の春に骨折し、入院したときの話も聞いた。替えの下着やバスタオルを病院で用意してもらおうとすると、日々お金がかさんでいく。洗濯できる分はおばあちゃんが交換し、病院に持っていったという。おばあちゃんの足では、家から病院までの遠い道のりを往復するだけでもひと苦労だったに違いない。
おじいちゃんが病院で綴っていた日記も見せてくれた。亡くなる少し前、おじいちゃんは久しぶりに病院の外に出て散歩をしたらしい。その日の日記には「この一年で一番楽しかった」と書いてあった。胸が苦しくなった。
歩くのが好きだったおじいちゃん。自由に動けず、外の空気を吸えない入院生活はそれほどに辛い時間だったのだろう。切なかったけれど、最後だけでも、一年で一番楽しいと思えるような瞬間があってよかったと思う。
しゃべっているとあっという間に時間が過ぎていく。おばあちゃんは「本当なら夜通し起きてるのがお通夜なの。だから私たち三人で今、お通夜をしてるようなものね」と嬉しそうに言った。
伯父の家族が着いてひとしきり話し、例のワイシャツを無事渡し終えて見送ると、私たちはおやすみと言って早々に布団に入った。 この三人だけで一緒に寝るなんていつぶりだろう。私は真っ暗になった部屋で天井を眺めた。
目を瞑ると、まだ私が小さかった頃の記憶が蘇った。よくおじいちゃんに連れられて畑に行った、在りし日の記憶。妹と近所の墓地でごっこ遊びをして、その先の竹林を抜け、古い歩道橋を渡って、茶色い犬がいる家の前を通っていた。おじいちゃんと歩いたあの道のり。懐かしさが沁みる。畑の休憩所でおじいちゃんによくジュースを買ってもらったことも、私は何年も忘れていたのだと気づく。あのとき見ていた景色はきっと、小さい妹と私、おじいちゃんだけが共有していた思い出だ。想いを馳せながら少し、目が潤んだ。
翌日、身支度を終えておばあちゃんと寛いでいると、続々と参列者が到着した。といっても参列するのはおばあちゃんと、伯父の家族と、私の家族の8人だけ。お正月に戻ったような気分である。
伯父はどうやら古い革靴を引っ張り出してきたようで、剥がれかけた靴底を両面テープで貼り、ガハハと笑っていた。その隣で、細いフレームの眼鏡をかけ部屋の片隅にちんまり佇んでいる我が父。父を見た伯父が「管理職みたいやなあ!」と言う。みたいっていうか、実際に管理職やし、と心の中で突っ込んだ。二人が並んでいるのを見ると、つくづく真逆な兄弟だと不思議に思う。
式場では、一緒に参列する従妹の子供ちゃんを落ち着かせるのにひと苦労し、緊張感はほぼなく、むしろ慌ただしく式は始まった。
昨日も入った式場は早くも見慣れた景色になってきて、おじいちゃんは変わらず穏やかな表情で眠っている。お焼香が終わると、おじいちゃんが生前に千昌夫を歌っていた録音をスピーカーで流す手筈になっていた。
その声が耳に飛びこんできた瞬間。図らずも、それまで止めていた涙腺のたがが外れた。
久しぶりに聴いたおじいちゃんの声に、なんだかようやく、会えた実感が湧いたのだった。音程の外れたおじいちゃんの歌声に懐かしくなる。でもその声はもう、スピーカーからしか流れてこない。生きているおじいちゃんに会ってその声を直接聞くことはもうできないんだという実感も、一緒に溢れ出てしまった。おばあちゃんや、伯父や父よりも先に泣くのはやめようと誓っていたのに、できなかった。
おじいちゃんの歌が流れている間、私はしゃくりあげないように必死で、みんながどんな顔をしていたのかはわからなかった。その後みんなで歌った涙そうそうも、昨日、せっかくおばあちゃんと練習したのに声が震えてしまい、情けなくなるほど歌えなかった。
涙そうそうを歌い終わると、ひとりずつおじいちゃんに挨拶する時間だった。
喪主の伯父から始まる。お棺の横に立ち、おじいちゃんの顔をしばしの間見つめていた伯父は、それから崩れるように嗚咽した。「ありがとうございました」と言ったきり、何も言えなかった伯父。普段のあっけらかんとしている様子からは想像できなかった伯父の姿に、また泣いた。
次はおばあちゃんだった。おばあちゃんは涙しながらも、昨晩約束したとおり、おじいちゃんとの馴れ初めを語ってくれた。
一方で、あまりに早いおじいちゃんとの別れについておばあちゃんは「もしかしたら私のためを思っての別れだったのかもしれない」と言った。
母からは密かに、おじいちゃんがなかなか頑固な性格であること、おばあちゃんがこれまで苦労してきた話を聞いた。ぶつかったり、振り回し振り回されたり、支え合ったりしながら数十年をともに過ごしてきた二人の関係は、愛、なんてひとことで表せる単純なものでもないのだろう。
入院してからのお世話も大変だった。そして退院してからは、きっともっと大変な生活がおばあちゃんを待ち受けていた。綺麗ごとでは済ませられない、厳しい現実を予感しての、おばあちゃんの素直な言葉だった。
それでも、昨晩も今日もおばあちゃんが語ってくれるおじいちゃんの姿は、勉強もスポーツも万能の格好いい人だった。頑固なおじいちゃんに悩み苦労しながら、おばあちゃんの中にはきっといつまでも、格好いい恋人のおじいちゃんもいる。
酸いも甘いも苦いも入り混じったおばあちゃんの言葉に、私は長く重い年月を感じた。
次にお棺の隣に立ったのは父だった。父が語ったのは、父がまだ10代だった頃、先輩たちにお酒を飲まされ酔い潰れたときに、おじいちゃん-父にとっては親父-が迎えにきてくれたエピソードだった。初めて聞いた話だった。私が子供であったように、父もまた子供で、おじいちゃんが親父である時代が確かにあったのだと、不思議な気持ちになった。
話の最後に父は、不器用なほどに真っ直ぐなおじいちゃんの性格は、腕をまっすぐにしてテニスのラケットを振るおじいちゃんのクセにそのまんま表れていると話した。それがいかにも会社の重役らしく、伯父の「管理職みたいやなあ!」というフレーズを思い出しちょっと笑いそうになった。
母が話したのは、おじいちゃんとラインのやり取りをすると、いつもカエルの「BYE」スタンプで早々に終えられてしまうエピソード。あのスタンプを見るたびにおじいちゃんを思い出すと、母は話していた。
妹は昔、マリナーズの試合を一緒に観にいきおじいちゃんが嬉しそうだった思い出を話した。私は昨晩思い出した、畑の散歩道の思い出を。
おばあちゃん、父、母、孫とバトンが渡るにつれ、語られるおじいちゃんの人物像が変わってゆく。「まっすぐすぎる頑固な親父」から、「優しくてたまにとぼけるおじいちゃん」へ。みんなの中にいるおじいちゃんは、同じようで少しずつ違う。それぞれのおじいちゃんが、心の中に生きていた。
みんなの挨拶が終わると、飾っていた花をひとつひとつ、みんなで棺桶に納めた。私たちは自家用車で、会館から山の麓にある火葬場へと移動した。会館では、葬儀場の担当者の方が私たちの出発を見送ってくれたのだが、私たちが火葬場に着くとその方がすでに立って待っていて驚いた。実はテレポートしたんじゃないか?と本気で疑う速さだった。
昨日の雨とうってかわって、この日は気持ちよく晴れた真夏日だった。火葬場にも木漏れ日が降りそそぐ。でもどこかしんと静かでほの暗かった。
がらんとした建物の中を進むと、火葬炉が並んでいた。昔観た『ナショナル・トレジャー』という映画を思い出す。映画の中では、宝の隠し場所への通路がちょうどこの火葬炉のように並ぶお墓の奥に続いていた。
おじいちゃんが入っているお棺が、火葬炉の台の上に載せられる。すると火葬場の人が葉のついた枝を持ってきて水に濡らし、その葉で棺桶を触れた。伯父が「これは何の葉ですか?」と聞くと、これは樒(しきみ)という植物だと教えてくれた。樒には毒があるため、水に濡らして触れることで邪気を払ってくれるのだという。後日調べたところ、樒は特に関西地方で使われることが多く、独自の風習が残っているようだ。
清められた棺桶が火葬炉に入れられると、私たちは火葬場を後にした。一度会館に戻り、昼食を食べ、火葬が終わる頃にまた戻ってくることになっていた。朝から慣れないことが続いていたからか、ごはんを食べると眠気に襲われ、少し昼寝をしたりした。
時間になり、再び火葬場に行く。やはり、会館で見送ってくれたはずの葬儀担当者の方は火葬場で出迎えてくれた。テレポートしているのか、あるいは極秘ルートをバイクで爆走しているのだろうか。
火葬炉が引き出されると棺桶は跡形もなく焼けていた。白く、軽く、乾いたおじいちゃんの骨だけが粉々になり、いくつか形を残して転がっていた。火葬場の人が長い箸で探りながら、全身の随所の骨を順番に選び取り、どこの骨かを説明してくれる。それを私たちがひとつずつ箸で拾い、骨壺に入れていく。私が拾ったのは確か、おじいちゃんの肘の骨だった。私の目には、どこの骨だか皆目見当がつかなかった。
背丈の高かったおじいちゃんの大腿骨が綺麗に残っているのを見て、みんなで「立派な骨やねえ」と褒めたたえながら、骨を丁寧に拾う。そこには悲しみも畏れもなく、ただただ、穏やかな時間が流れていた。
おじいちゃんが骨だけの姿になっても実感が湧かない、わけではなかった。ただ、お葬式でたくさん泣き、ひとつひとつの儀式とともにおじいちゃんに別れを告げながら、悲しみも余さず一緒に、お棺の中に添えられたのだと思う。
おじいちゃんの全身は小さな骨壺に納められ、お葬式は終わった。会館に戻ると、おばあちゃんと叔父の一家を見送り、私もその日のうちに帰路についた。
次に親族全員で集まるのはお正月になるだろう。あの家に行ってもおじいちゃんはもういない。でもなんとなく、気配を感じられる気がする。月並みな言葉だけど、みんなそれぞれのおじいちゃんが、心の中に生きている。
元旦の朝、知らぬ間におせちの具材がひとつ減っていたら、それはおじいちゃんの仕業かもしれない。「えっ!食べちゃった!」とまたとぼけていてほしいな、と思いながら、帰りの新幹線の中でふふっと笑った。
2025年の漢字「念」
今年の漢字は「念」を選んだ。これをしたい、達成したいと念じ続けていたことを叶えられた、そんな一年だったからだ。
2025年の初めは割と悲観的だった。いい加減結婚のことを決めろと自分に喝を入れまくった年明けだった。一方で前厄でもあったので、やばいことが起きたらどうしようと怯え、わざわざ若八幡宮に行ってお祓いを受けた。懐かしい。
でも1年前自分に念じた通り、ちゃんと決めることができた。思い出に残るプロポーズをしてもらい、婚約することができた。 紆余曲折あってぎりぎりにはなったけど、終わりよければすべてよしである。プロセスは気にしない。それにこの数年一緒に暮らしてようやく、お互いに等しく歩み寄れるようになった感覚がある。なによりそれが良かったと思う。
仕事では、春と秋に数億規模のプロジェクトを受注することができた。去年からずっと提案を頑張ってきたプロジェクトチームにとって念願の結果だった。私が過去に担当した案件と比較しても今回は大きく、会社員人生で忘れられないプロジェクトになると思う。
ただそのぶん苦労も大きく、序盤から茨だらけの道だった。怒られた場面も多々あれば、怒った場面も多々あり…このプロジェクトのおかげで毎朝お腹が痛いので、なんとか無事に完遂したいものである。
念願が叶った、といえば、母と一緒に行った台湾旅行もそのひとつ。3泊4日で台北に滞在した。本場の台湾料理がとにかく美味しくて最高だった。遠出して九份にも行くことができ、大満足の旅だった。 少し早いけど母に還暦のお祝いができたのもよかった。
去年友達と韓国旅行に行ったときを参考しながら宿も飛行機も全部自分で予約したのだが、ツアーパックじゃなくても何とかやれることがわかったので、海外旅行のハードルが下がった。また億劫に戻らないうちにどこか行きたい。
ただ、夏のタイミングでは台湾旅行に行くかどうか迷っていた。祖父の容態が芳しくなかったからだ。初めて聞いた、身近な人の余命宣告。ただその月に、祖父は亡くなった。突然の出来事だった。 祖父のお葬式は穏やかで、寂しくなるけどありがとうって親族全員で送り出せた、良い式だった。お骨も拾ったのに、今も祖父はまだどこかにいるような不思議な気持ちでいる。
その後、時間もあかずに叔父の訃報があった。家族が健康に生きていることは当たり前ではない、って頭ではわかっていても、日々の生活に流されて忘れてしまう。そうでなくなったとき初めて痛感する。訃報が続く中、父の治療がひと段落して寛解したという知らせを聞いたときは、心から安心した。今後もお酒をほどほどにして元気に過ごしてもらいたい。
最後に趣味。去年入った社会人アカペラサークルは、バンドを組めなければ半年で辞めようと考えていた。すると1月にたまたまイベントで一緒に歌った班が、良いねとなって本バンドになり、今年はなんと5回もライブイベントに出演した。他にもバンドや企画で歌う機会がたくさんあり、当初の念願以上にアカペラライフが充実した1年だった。
十年ぶりに、もしかしたら大学時代のときよりも、アカペラを楽しんでいる。先月広島で歌ったときは、自分達の歌で聴いている人の心が動いた瞬間を、初めて感じられた気がした。めちゃくちゃ感動した。
アカペラに時間を割くほど、オタ活の時間が減った。でも忙しいからって単純な理由だけでもない。楽曲の方向性が私の好みではなくなったし、応援したいと思えるような信念が本人達から見出せなくなったし、本人は歌わないし変な髪色していて、ここまでくるとなかなか今までの熱量を維持するのも難しい。でもライブに行って彼らが今心からやりたい音楽をやってるんだってわかった。それを否定するのは違うと思ったから、今は静かに待とうかな。私のポリシーは「好きな時に好きなものを好きなだけ推せ」なので、つかず離れずでいきたい。
ただひとつだけ言わせてくれ。髪色は変えよ♡
2026年はいよいよ本厄。でも色んなイベントが目白押しなので、そんなの関係ねぇ(古)の精神で強く楽しく生きたいと思う。
結婚関連のイベントを楽しむ!
プロジェクトの完遂!
来年こそ資格1個とりたい!
そして家族健康!来年も良い年にしよう。

2024年の漢字「遠」
2024年の漢字は「遠」を選んだ。理由は2つある。
ひとつは、旅行やライブで遠方によく行ったからだ。2024年に行った場所をあげてみる。
・3月 ハワイ、東京
・5月 韓国
・6月 東京
・7月 北海道
・8月 立山黒部登山
・10月 愛知
・12月 愛媛、埼玉
推しのライブが多いのは否めないが、それを抜きにしても私にとってはたくさん旅行した1年だった。帰省も足すと、月に1回は飛行機に乗っていたのでは。どうりでパッキングが上手くなったわけだ。
ハワイも韓国も初めてではないけど、社会人になってからは初めての海外旅行だったので新鮮でわくわくした。特にハワイのクアロアランチで体験した乗馬は、日本にはない独特の地形と自然を全身に感じられて気持ちよかった。クアロアランチはぜひおすすめしたい。
6年前のリベンジを果たした立山の登山も、私にとっては大冒険だった。高所恐怖症で足がガクガクに震えたし、後から写真を見返したら、 にこやかな友人たちの隣でひとりだけ死にそうな顔で固まってたけど、標高3000m超を自力で登頂して見た絶景は感動させられるものがあった。この登山を経て、度胸はレベル2くらい上がった気がする。もう登りたくはないけど(といいながら別の山に誘われたら多分登る、なんやかんや挑戦するのが好きなので)。
ふたつめは、1年をかけて盛大な人生の遠回りをしたからだ。
去年の元旦、私は"今年やることリスト"を作っていた。そこに第一番に書いたのは「今後結婚するかどうかを決める」だった。でもそれは実現に至らなかった。
上半期の私は、我ながら有言実行に努めたと思う。年明け早々にパートナーに泣きながら、結婚できる自信がないと打ち明けた。そこからパートナーが頑張ってくれて、そんな姿勢に感謝し、私から結婚したいと伝えた。だけど、パートナーの優しさに私が甘えた結果、わがままな私に対する相手の不満が溜まっていて、そこから大喧嘩して、別れ話まで出て、でも話し合って和解して平和な生活に戻ったけど、結婚までは行きつかなくて、気づけば1年経ってまた同じところにいる。きっと自宅に帰ったら、私は泣きながらこの話を持ち出すことになるだろう。
私がわがままなのが悪いんだと思ってた。
だから自分のわがままな部分や、感情的な瞬間をなるべく抑えるようになった。いや、違う。抑えるのも限界があるから、向こうに深く関与しないようになった。お節介もかけないようにした。
でも周りの友だちや身内の結婚話を聞いて気づいた。わがままで自分勝手な女でも、受け入れてくれる人はいるのである。外野が聞いたらエエッ?!とびっくりするようなことも二人の世界では成り立っていることがたくさんあって、二人がお互いに納得していればそれでいいんだということを知った。
今の私の状態は不健全だと思う。
私が自分を押さえ込まず、自分らしく安心できる居場所に身を置きたい。
2024年は遠回りしてしまったけど、2025年こそは自分で考えて動いて、変化を恐れずに自分を幸せにしたい。そして自分の人生のすごろくを前のマスへと進めたい。
鱒鮨
夏休みに友達と三人で富山に行った。その帰り、私は駅ナカにある鱒鮨専門店の前で悩んでいた。新幹線の中で食べようと思ったのだが、鱒鮨はひとつがとても大きいのだ。調べるとその店には半分サイズのものがあるようで、私はそれを買おうかと考えていた。そのとき友達のひとりに、何を買うのと聞かれた。半分サイズの鱒寿司を買おうとしていると伝えたところ、友達は、わかった、そうしたら私はもうひとりの友達と鱒鮨を半分こするねと答えた。
ああ、その手があった。と、言われて私は初めて気づいた。ショックだった。
私以外の友達二人が半分こすることに疎外感を感じたのではない。そうではなくて、私はせっかく友達と一緒にいるのに、またひとりで自己完結をしようとしていた。そんな自分にショックを受けた。
夏休み中は実家にも帰省した。帰るたび、しばらく会っていなかった分だけ積もった家族のエピソードを母から聞く。特に妹は毎回、ネタに事欠かない。なぜなら、何か大変なことがあるたび母にヘルプの連絡をするからだ(大変な、といっても何かの荷物をいつまでも受け取れなくて云々とか生活の延長線上の出来事だけど)。
妹は東京で暮らしているのだから、連絡したところで母はすぐ助けに行けない。私だったらそんなことを連絡しても母を心配させるだけで何も解決しないと考え、絶対にやらない行動だ。びっくりするし、呆れるし、それができてしまう妹を少し羨ましく思ったりもする。そんな私は少し前からずっと抱えていた悩みを母に打ち明けようか迷い続け、結局ひと言も言い出せないまま帰省を終えてしまう。
会社では、ひとりでトラブルを抱え込むなと言われる。私はそれを肝に銘じ、なるべく周りの人を頼るよう心がけている。それは私にとって仕事を円滑に進めるためのテクニックだ。それに、頼ることも私の仕事であり、そんな私を助けることは周りの人の仕事だと思っている(そして周りに頼られることが私の仕事でもある)。それは、合理的な理由と目的があるからできることだった。あくまで会社員という立場で、意識してやっていることだ。
でも素の自分になると私は、誰かと協力しながら一緒になにかをやる、という思考ができない。誰かに頼る、という考えになかなか至らない。
もっと言うと、誰かに心を洗いざらいひっくり返して、本当の思いをぶつけることができない。自分の弱さを見せて、甘えることができない。
ひとりで全部なんとかしようとする。放っておくと私はひとりで生きていこうとするだろうし、生きていけるのだと思う。
もちろん人と人との繋がりや思いやりは尊いものだと本心で思うし、公の場では常識的な協調性を発揮することができる。でもそれとは別で、なにも気遣あ必要のない場面で素になった私には、誰かと関わりあうことを大前提とした思考が欠落している。今二人暮らしをしていてもそう。それぞれひとり暮らしをしているみたいだ。こんな自分に結婚や家庭をもつなんてできるのだろうか。もしかしたら向いてないかもしれない。
これは私の持って生まれた人間性によるものなんだろう。
でももうちょっぴり、他人の存在ありきで生きていくような人間に生まれたかったと思う。
SAKANAQUARIUM 2024 "turn"
※ネタバレあり※
昨日、サカナクションのライブに行ってきた。その熱がまだ身体の芯に残っている。
山口一郎さんの休養期間を経て2年ぶりに開催されたライブ。でもそんなブランクを感じさせないくらいの、強くエネルギーに満ちたライブだった。
今回はSpeaker+という新しいスピーカーを導入したという(サカナクションは毎回ゴツいスピーカーを入れるから勝手に予算を心配してしまう)。だから音への期待は膨らんでた、けど。
開演とともに会場に鳴り響いた雨と稲妻の轟音でもう、一気に引き込まれてしまった。聴こえるとかじゃない。まるで会場内に雨が降りしきってるかのような臨場感。
そこにAme(B)のコーラスが重なっていく。サカナクションの音の世界が広がっていく。荘厳な音に、畏れみたいなものを感じていた。
そして満を持してサカナクションが登場。次に披露したのは私が大好きな陽炎で、テンションがぶち上がって飛んでしまった。
少し中華テイストのアップテンポな曲なのに、サビまでくるとなぜか泣けてきた。泣きながら笑って飛び跳ねてた。
今思い返せば、あれはきっと2年ぶりのツアーに感慨深くなって泣いたというより、ただ大好きな音楽に包まれて高揚感が限界突破したんだと思う。
高揚感で泣くことがあるんだ。
その後はアップテンポな曲のオンパレードでずっと飛んでた。アイデンティティでは大声で歌ったし、ルーキーでお約束のレーザー光線に今回も見惚れてしまった(サカナクションの照明演出は、曲の世界に入り込めるから本当に素晴らしい)。プラトーってインストがめちゃくちゃカッコいい曲だったんだ。あみちゃんのベースに痺れた。
そこからぐっと静かになる。あ、深海に潜ったんだとわかった。
ユリイカでまた泣いた。私は東京には住んでいない。でも日々せわしなく過ごしているうちに、いつのまにかこんなにも長い月日が経っていたのかと感じる瞬間が最近もあった。ユリイカの歌詞は今の私に沁みた。
流線が後に続き、海のさざなみが聴こえてきた。そしてあのイントロが流れたとき、私の心が震える音がした。ああ、これ聴きたかった。もしかしたらサカナクションで一番好きな曲かもしれない、ナイロンの糸だ。
戻りたくても、もう戻れない過去を愛おしむ曲。
この曲にどんな引力があるのか、初めはカロリーメイトのCMで流れたのを一瞬聴いただけだったのに、あれからずっと心を揺さぶられている。
濡れた丸窓の映像がステージの背景に映し出される。窓の向こうに海が見える。さっきまで暑かったのに、心なしか少し肌寒い。ここには1万人いるのに、この世界でたった独りのように感じる。この曲の美しさに触れてまた涙が溢れてしまった。
一緒に行った相方は、何で私がこんなに泣いてるんだろうと隣で不思議に思ってるだろうか。でもいいや。涙を止められないんだから。
セットでもっとも度肝を抜かれたのは、バッハの旋律〜の時だった。はじめはステージが布に囲まれ、大スクリーンになって映像が流れてたんだけど、幾何学模様の映像に合わせて段々真ん中がひし形の形に開いていく。開いていった中に、高く上がったステージで立っているサカナクションのメンバーがいたのであります(全然上手く説明できない)。
どんな仕組みになってるのかわからないけどめちゃくちゃカッコよかった。
メンバーがDJになり、聴き馴染みのある曲がテクノ風にアレンジされて流れる。会場が完全にクラブ化していて、みんなで音楽に乗って揺れるのが楽しかった。
クラブはネイティブダンサーで幕を閉じ、ミュージックからバンド体制に戻った。
ライブで一番映える曲がなにかと聞かれたら、私はミュージックと答える。
音源も大好きだけど、この曲はライブで聴くたびに衝撃が走る。
ミュージックは、ここまで上がるだろう、と予想するテンショングラフのラインを軽々と超えてくる。その遥か先まで到達する。ライブで聴いてこそ、本当の良さを体感できる曲だと思う。
それは今回も変わらず、むしろパワーアップしてるように思えた。アーティストとして、音楽に向き合いつづけるサカナクションの覚悟を感じた気がして、「歌い続けるよ」と歌う山口一郎さんに心の中でおかえりなさいと叫んだ。
そこからショック!、モス、新宝島、忘れられないのと止まることなくボルテージが上がっていった。
サカナクションのライブは、会場と自分の境目が段々なくなっていくような感覚に陥る。境目がぼやけて、自分も音の粒になって溶けていくみたいなイメージ。音楽に陶酔するってこういうことなのかなと思う。
スタンディングで腰が痛いのに、曲が流れると不思議と腕を上げて飛んでしまう。アンコールで再び飛びはねて歌ってあっというまの2時間半だった。
「ずっと歌いたかった曲」と前置きして最後に歌ったのは休止前に出したアルバムの曲だった。シャンディガフをメスライオン色と言い表す一郎さんの感性には、逆立ちしても辿り着けないや。少しまどろむような柔らかい余韻を残してライブは終わった。
いい夜だった。
山口一郎さん、おかえりなさい。またサカナクションの音楽が聞けて本当に嬉しかった。
ここから「turn」して今までとはまた違う新しい音楽を生みだしていくサカナクションが楽しみだ。
5/2(木) 18:30〜 マリンメッセ福岡A館
セットリスト
- Ame(B)
- 陽炎
- アイデンティティ
- ルーキー
- Aoi
- プラトー
- ユリイカ
- 流線
- ナイロンの糸
- ネプトゥーヌス
- さよならはエモーション
- ホーリーダンス
- 『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』
- ネイティブダンサー
- ミュージック
- ショック!
- モス
- 新宝島
- 忘れられないの
アンコール
- 夜の踊り子
- 三日月サンセット
- シャンディガフ

ある晴れた昼休み
誰かと昼食を食べても上手く笑える自信がなくて、逃げるようにオフィスを出てきた。
ついさっき、会議室で部長から告げられた事実が鉛のように肩に重く、のしかかる。とりあえずどこかで昼食を食べなければと歩き続けるけど、看板に書かれたメニューが頭に入ってこなくて彷徨ってしまう。
考えるのが面倒になって、ぱっと目についた喫茶店に入った。レジでお金を払う指先の感覚が、いつもより鈍い。
あれ、最後に会話したのはいつだっけ。昨日は社内のシステムでしかやりとりしなかった。業務効率化施策、と称して最近導入されたシステム上での、味気ないメッセージ。あの後、ありがとうございますと返信しようと思っていたのに、まだ返信していない。
直接話したのは先週の計上処理でばたついたときか。あの日は確か電話で話した。それから声を聞いていない。
先月あたりから会社に出てこず、ずっとテレワークをしていて何でだろう?と思っていた。心のどこかで少し引っかかっていた。でも、今までもそういうことがあったからあえて聞くことをしなかった。
聞けばよかった。昨日私が電話をかけていたら何か変わっていたんだろうか。たったひとことでも声をかけたら、少しでも思い留めることが、できたんだろうか。
まだ一緒に行っていない。大好きだと言っていたテレビ番組のイベントを見にいく約束。頓挫してしまったあの約束をもう一度取りつけていたら、何かが変わっていただろうか。
もう少し、ほんの少しだけ、手を差し伸べていたら。後悔ばかりが渦巻く。
たとえ私がそうしたとしても、何も変わらなかったかもしれない。事情を知らないただの同僚の私が、できることなんて何もなかったかもしれない。でも気軽な関係性だからこそ、何かできることがあったのかもしれない。こんな私だから話せることが、もしかしたらあったかもしれない。
どんな気持ちで昨日の夜を過ごしていたんだろう。何を考えていたのだろう。人生を自ら断ちきってしまうほどに、未来が見えなくなってしまったのだろう。考えたくないのにいろんなことを想像してしまって、苦しくて涙が出る。
それでも私のお腹は空くしご飯は食べる。昼休みが終われば仕事もする。私は自分の生活を続ける。それはなにも悪くないことだ。
ただ、こんな無責任な涙を流してしまう自分が情けない。何も知らなかったくせに。何もできなかったくせに。情けない。
ただ、悲しい。
喫茶店のランチセットは割高で、出てきたサンドイッチも小さかった。でもその量の少なさが今はありがたい。
そろそろ、お昼休みが終わる。
限界OLの買ってよかった2022
今週のお題「買ってよかった2022」
久しぶりにブログを更新するので、リハビリがてら書こうと思う。残業しがちな限界OLを支えるアイテムたちをご紹介。
ROPÉの通勤用バッグ

通勤用バッグって実はなかなか、丁度いいものが見つからなかった。奮発してブランド品を買ったこともあるけど、毎日使っているとすぐ汚れるしレザーは重すぎて使いづらい。でもついに今年になって、何年も探し続けていた正解を見つけました。これです。
デザインも好きだし、ナイロン製なので軽くて汚れがつきにくい。マチが広くて書類がいっぱい入る。値段も高すぎない。私が探してたやつ!!!

本当にめっちゃ入るのよ。普段は写真に加えてもっとたくさんの書類を入れてる。
お仕事できれいめな格好が必要な人、荷物が多い人は自信をもって勧めたいです。ガシガシ使っても全然へたれない。私はLargeのブラックを買ったけどバイカラーも可愛いよ。
ROPÉ / 【E’POR】【A4対応】【撥水】D BAG Large (バッグ / ハンドバッグ) 通販|J'aDoRe JUN ONLINE
ジェニファーロペスの香水Still

香水にはずっと興味があったが、いかんせん人工的な香りが苦手で酔いがち。でもこの香水は一日中纏っていても気持ちが良かった。
トップノートの紅茶のような香りがすっきりしていて飽きない。華やかすぎず、でもナチュラルすぎない、絶妙なバランスを突いてるんだな。ときどき仕事中に自分で嗅いでリフレッシュしている。
ちなみに私は一瓶買ったのではなく、COLORIAで試しました。香りこそ、実際に嗅がないと博打になるけど、少量ならまだ許せる。お店で何個か試すとすぐ気持ち悪くなってしまう私には合ってるサービスだった。
輝き続ける全ての女性へ「Still」は自信溢れる魅力的な香水【JENNIFER LOPEZ】 - COLORIA MAGAZINE(カラリアマガジン)
ROPÉ PICNICのワンピース

衣服類は来年も売ってるかわからないけど、このワンピースは今年の夏にすごく重宝したので書きたかった。仕事用の服にはあんまりお金をかけたくない、でもこのワンピースは値段の割に生地が薄っぺらくなくてコスパ抜群。ロペピクニック、侮れないぞ。(てか最近の服しれっとペラペラになりすぎちゃう?)
ふわふわなワンピースが苦手なのでワンピース迷子になってたけど、このデザインなら甘くなりすぎずに着れた。胸ポケットのデザインが良いね。ジャケットと合わせたら仕事服になるし、プライベートでもきちんとした場面で使えそう。私はライトグリーンを持ってます。色も可愛い。
ROPÉ PICNIC / ポケットディティールワンピース (ワンピース / ワンピース) 通販|J'aDoRe JUN ONLINE
Re:CENOの食器棚

今年の引っ越しを機に買った食器棚。食器というものは、生活スタイルが変わるにつれて量の増減が激しいジャンルだなと思うんです。
それを考えると、この食器棚の魅力はなんといっても、あとから買い足せるところ。組み合わせ自由なのがよい。
私は「Rekit 壁面収納 Bセット」を買いました。木の質感が安っぽくないし、組み立ても難しくない。LOWYAなんかもお手頃価格でデザインが良くて評判だけど、とにかく組み立てが大変なので結構気をつけた方がいい。
Rekit キッチン壁面収納 - 家具・インテリア通販 Re:CENO(リセノ)
MYTREXのEMSヘッドスパ

白状します。これは完全に衝動買い。デスクワークのせいで肩こり、眼精疲労がひどいし、マスク生活のせいで顔がどんどん下がってきてるのを身にしみて感じた私の衝動買い。もしや全部に効くのでは?!と思って買ってみた。
これで頭皮をほぐすのが気持ちいい。肩周りも良いです。首周りは敏感なのか、EMSがビクビクと響くので弱めのパワーで当ててる。
やった後は一瞬目が二重になるので、効いてるんだと思う…ちゃんと続けて小顔になりたい。
以上、限界OLの買ってよかった2022でした。ぼちぼち、ブログ再開しようと思います。