日曜日のなのはな

北極を探しにいく・日曜日更新+気まぐれ

紙の本を愛する理由

職場で、私のキャラが"昭和キャラ"に定着してしまった。

きっかけは、先輩が運転する営業車に乗っていたとき。道案内をしていた私が「次は東です」と言ってしまい、車内には大きなハテナが浮かんだ(私はそれを言った記憶がないのだけど)。

今どき、方向を東西南北で表現する人などいないらしい。

そうしてついてしまった昭和キャラは不本意だった。でも正直、自分にいささか古風なところがあることは否めない。

最近それを痛感したのが、電子書籍だ。

5月に、DMMブックスで半額キャンペーンをしていたことをきっかけに初めて電子書籍を買ってみた。

電子書籍は、荷物にならないのがいい。電車の中で本を読みたくても、最近流行りのバッグは小さくて本が入らない。荷物になるから、と諦めていたのがなくなった。それに、買えば届くのを待たずともすぐ読める。

また、私は付箋魔なのだが、電子書籍の場合は気になった箇所にハイライトを引くことができる。それを一覧で確認することもできる。

色んな意味で、めちゃくちゃ効率的だ。

それなのに、私は電子書籍がどうもしっくりこなかった。

漫画は電子でもまったく問題ない。本だけ慣れることができないのだ。結局、最近はまた紙の本に戻ってしまい、私の机にうずたかく積まれている。

なぜ、しっくりこなかったのだろう。

ひとつは、見開きの文章量が少ないからかもしれない。私は読んでいるとき、よく前後をいったりきたりする。紙の本だと見開き2ページ分が見れるので、それがやりやすい。対して電子書籍は1ページ分だけだ。でもこれは端末やアプリを変えれば解決しそうだ。

電子書籍に慣れなかった一番の理由は、紙の本にある、あの重みを感じられないことだと思う。

本を手に取るたび、私は想像する。この紙の束にどれだけ広い世界が広がっているのだろう。

壮大な物語や、世界のあらゆる知識が、文字と紙だけで私のこの手の中にある不思議。そんなことにワクワクしながら、私は本を楽しんでいたことに改めて気づいた。

そして、長編を読んだ時の読了感は、頁数の多い本のずっしりとした重みをもってこそ感じられる。

自分が読んだ本が、ずらりと本棚に並んでいる様子もいい。これまで読んできた本を眺めていると、私の思考の一部はここにあるのではないかと思う。二・二六事件の小説の隣に、恋人を亡くした大学生のエピソードが並んでいる。時代も主人公も全く違うけれど、どれも私のどこかを形作っているのだろう。

中学生の頃、親に買ってもらった文庫本の背表紙は、よく見るとボロボロになっている。いつか友だちに貸したら破れてしまったものだ。新しく買い直すよ、と友だちは謝ってくれたけど、私は丁重に断り、今もその本を本棚に置いている。

新しいモノにいつまでもアンテナを高く張っていられる人間でありたい。でも自分のこだわりや想い入れのあるものは、無理に変えなくていいのかもしれない。

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