恥ずかしくて、投稿できなかった下書きがある。
少し前に、仕事で落ち込む出来事があった。私が落ち込むときは、たいてい自分の失敗や無能さが原因だ。今回もそれだった。
コトの経緯
発端は、ある人(Aさんとする)から質問を受けたことだ。業務の内容は書けないので、たとえ話で書いてみた。
- Aさん 案内地図を作る人
- 私 スーパーの責任者
- Bさん スーパーの店長
- Cさん 駐車場の責任者
Aさんはショッピングモールの案内地図を作っていた。でも困ったことに、スーパーの中の情報がわからず、地図におこせない。そこでスーパーの責任者である私に相談した。書きかけの地図を見て私は、スーパーの店長であるBさんが間取り図を持っていることを思い出す。
そこで私はAさんに、「店長のBさんに聞いてみて」と回答した。AさんがBさんに聞いたところ、間取り図は送られてきた。でもどこが生鮮食品エリアで、どこが飲料エリアといった情報までは書かれていない。地図を完成できなかった。
困ったAさんは、駐車場責任者のCさんに相談した。するとCさんは、店長のBさんに話を聞きながら地図のスーパー部分を自分で作ったのである。
伝書鳩だった
長くなったけど、つまりはこういうことだ。
私はただの伝書鳩だった。
Cさんは自ら進んで動き、仕事をした。
Cさんの動きを見て私は初めてその事実に気付き、恥ずかしくなった。
仕事をするということ
「地図を完成させる」というゴールがあるとき。
聞かれたことだけ答えるんじゃなくて、そのゴールを達成するために何が必要なのかを考える。自ら動き、必要なものを集める。誰かがやれてないことがあればそれに気づき、対応する。
そして地図を完成させる。
それが「仕事をするということ」だと思っていた。でもスーパー責任者の私は、それを怠った。書きかけの地図を見ていたのに。私は達成すべきゴールを知っていたのに。
「仕事がない」とボヤいてる私は、仕事を自分で見つけず、生みもしていなかったのだ。
さらに本音を言うと、「なんで駐車場責任者のCさんがスーパーの地図を書いとるねん」と一瞬怒りに駆られた自分がいた。
でもこんな結果を導いたのは、私自身の最低な消極的姿勢にほかならない。そんなヤツには、Aさんも相談しづらいだろう。
自分の存在意義
仕事をしなかった自分にも、一瞬でも怒りに駆られた自分にも、めちゃくちゃ落ち込み、反省し、腹が立って仕方なかった。
いつになっても自分は成長していないと、痛感した出来事だった。
周りに怒る前に、文句を言う前に。「ゴールへの到達」に焦点を当てたとき、自分は何をすべきなのかをもっと深く考えよう。そうでなければ、自分の存在意義なんてない。