金曜日、私は推しのライブに落選した。
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、申し込みを手伝ってくれた先輩と息をのんでサイトを開いた。でもそこに並んでいたのは、どこまでも「落選」の文字。
そりゃそうだ。だって私の推しは、ファンクラブ会員数が鰻登りに増えているトップアイドルだもの。おまけに今はコロナ対策で、席数が絞られているはず。チケットに当選することは、宝くじを当てるようなものだ。
頭ではわかっていたけど、それでも辛くて辛くてしょうがなかった。仕事をしているときはまだいい。帰宅してひとりになった瞬間、落選が現実としてじわじわと押し寄せる。
SNSで、当選した人や、落選したけど友人のおかげで行けることになった人たちの浮足だった投稿を見ていると、涙が出た。
日常生活で、嫌なことはいくらでも起きる。大人になるにつれ、その大抵は、文句を垂れながらも自分でケリをつけられるようになってきた。
誰かに嫌なことを言われたり、なにかをされたりしたときはまだ簡単だ。私は悪くない、と胸を張っていられるし、自分は同じ間違いをおかすまいと反面教師にできる。また、なぜ自分が怒っているのかを細かくブレイクダウンしていけば、自ずと気持ちが落ち着いて理性的に向き合える。
それでもダメなら心の中で、その誰かに「ビー玉が鼻の穴にハマって抜けたら鼻の穴がちょっと大きくなってしまう呪い」とか「一張羅を着ていったら鳥の糞が大量に落ちてくる呪い」をかければ気が済むことだ。(そのあたり、私は意地が悪い)
自分の失敗に落ち込んだときは、徹底的に原因分析をする。起こってしまったものはどうしようもない。とことん失敗と向き合って、自分がどうすべきだったかを考える。未来への改善にフォーカスを当てれば少しだけ、落ち込みモードから意識をそらせる。
不快な気持ち、怒り、失敗、嫌な仕事。いずれも、まっすぐ見つめて細かく分析していけば、意外と大丈夫だとわかったり、前に進めたりする。
でも、災害や事故、予期せぬ病気、当落のように、運命のいたずらによって降りかかる不幸とは、どう向き合えばよいのだろう?その方法を、私はまだ知らない。
そういう出来事はむしろ、向き合えば向き合うほど辛くなってくる。原因なんてないし、改善もたかが知れている。チケットが当選すれば訪れていたはずの未来なんて、想像したくもない。
こういうとき、辛い感情は心の片隅に置いて、なるべく触れないようにする。それはピントが合っていないように、ぼんやりとしたままだ。
それでもふとしたときに立ち戻ってしまいそうになるから、とにかく手を動かす。掃除や洗濯、読書、仕事。動きつづける、負の感情をエネルギーにして。
どれだけ忙しくしても、ぼんやりと辛い感情は、お腹のあたりで鉛のように重く沈んでいる。そして作業の切れ間が生まれるとまた、思い出してしまうのだ。
いつかその感情が風化して、少しずつ小さくなっていくのをじっと待つしかないのだと思う。
再びSNSを覗くと、当選した人の投稿にたくさんの返信があった。「おめでとう!」「全力で楽しんできてね」。メッセージを送っているのは落選した人たちだ。すごいなぁ。本物の人格者だ。
でもそれを見ていると、少し元気が出た。清く正しく当選した人たちには楽しんできてほしい。私も素直にそう思えた。
私の傷心が癒えるまではまだ時間がかかりそうだけど、こんなときこそ人の本性が試される場面だと捉え、清くありたい。
最後に。落ち込んでいる私を慰めてくれた会社の方々に、心から感謝もうしあげます。