日曜日のなのはな

北極を探しにいく・日曜日更新+気まぐれ

それはもうお礼じゃない

私の職場は、昭和な価値観を感じる瞬間もあるが、基本的には風通しの良いホワイトな職場だと思う。みんな部署の枠を超えて気にかけてくれるし、困ったときには助けてくれる人もたくさんいる。

ただ、どんなに良い職場でも人数が集まればその分、自分と価値観が合わない人が出てくる。それは避けられない。自分とは違う、とどこかで割り切るしかないんだと思う。

そんな風に「どうしても理解できない」とずっと前から職場で感じていたことがある。それは一部の人による、"お菓子をせびる"行為だ。

私は営業をやっている。営業の仕事というのは、当たり前だけどお客さんとのやり取りがほぼ全てである。どんなにこちらが調整しても、お客さんの都合で急ぎの対応が発生するのは、よくあることだ。

急ぎの対応は、営業ひとりで完結できないことも多く、社内関係者に協力を仰ぐことになる。

そんなときに「至急でやるから、その代わりお菓子買ってきてよね」なんてことを言う人がいるのである。

もしこれが仕事じゃなくてプライベートなお願いごとなら、私は喜んでお菓子を買ってくるだろう。わざわざ手間をかけてもらうのだから、そのお菓子は対価となる。

でも、営業がお願いしているのは仕事だ。その人はこの仕事をするために、会社からお給料をもらうのである。残業すれば残業代が出る。

もちろん、普段なら急いでやらなくていいことを至急でお願いしているので、労力は増える。申し訳ない気持ちはもちろんある。でもそれも含めて、仕事ではないか。

こちらから依頼する仕事にはすでに会社からの対価がくっついているのに、なぜ個人間でお菓子という対価の交渉が加えて必要なのか、意味がわからない。

私が推測するに、はじめは営業が感謝の気持ちをこめて、自らお菓子を買ってその人に渡していたのだろう。それがいつのまにか慣習となり、”お菓子を買って当たり前”になってしまった。

お礼をせびたら、それはもうお礼じゃない。

良い大人になってお菓子をせびるなんて、恥ずかしいと思わないのだろうか。卑しいと思わないのだろうか。その人の給与形態は私と違うかもしれない。でも、そんなに仕事量や給料に対して不満があるのだろうか。

お菓子をせびる相手は大抵、私のようなしたっぱではなく、管理職以上の役職者だ。私は、言われた上司たちが素直にお菓子を買ってくるのを見るたび思う。もう、買わなければいいのに。

でもそれは、私には到底理解できない価値観なだけである。それに今さら誰が指摘したとて、その人の中に恥ずかしい感情などが生まれることはないんだろう。だから私はこれからもきっと、お菓子が渡される光景を黙って見過ごして終わってしまう。

ただ、この先歳をとっても、どうなっても、同じような行動はとるまい。これだけは心に留めておきたい。

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