日曜日のなのはな

北極を探しにいく・日曜日更新+気まぐれ

ジャニーズと三島由紀夫

今週のお題「今月の目標」

この1ヶ月で三島由紀夫を勉強する、と決めたのは一昨日のこと。

仕事終わりにふとメールを見ると、King & Princeの神宮寺くんの舞台に当選していた。

めちゃくちゃ驚いた。

ジャニーズのチケット当落は凄絶な戦いだ。そのうえ外部の舞台。倍率は決して低くなかったと思う。岸担の私がなぜこの舞台を申し込んだかは、長くなるので割愛する

そんな記念すべき、神宮寺くん初の外部舞台がまさしく三島由紀夫の『葵上』『弱法師』だったのだ。

www.aoinoue-yoroboshi.com

渋い。渋すぎる。

神宮寺くんが直近で出演した舞台といえば、ジャニーさん演出のキラキラなミュージカルだぞ?羽のついた衣装着て歌ってたんだぞ?

そこからの、三島由紀夫作品ストレートプレイ。180度違うジャンルにびっくりだ。そしてミュージカル以外を観たことがない私にとっては未知の世界。当選してからというもの、ワクワクしている。

でもよく考えたら、葵上とか弱法師ってなんだっけ・・・?近代能楽集とは?

そもそも三島由紀夫もあまり知らない。さすがにやばい。

私は感性が特段優れた人間ではないので、事前知識がないと感じ取れないことが沢山ある。

なのでこれを機会に、1ヶ月後の観劇当日を目指して三島由紀夫を予習しようと思う。

さっそく少し齧ってみたところ、舞台が俄然楽しみになった。

三島由紀夫ってどんな人?

三島由紀夫は1925年生まれ。激動の第二次世界大戦を生き抜いた人だ。

45歳の若さで亡くなっており、なぜ?と思ったら、自衛隊にクーデターを促す演説をしたあとに割腹自殺をしたらしい。過激すぎる。

三島由紀夫にとって戦後の日本は、アメリカに従うばかりで理想からほど遠かったみたいだ。

ちなみに、割腹するとき脂肪が出たらイヤだからと、身体を鍛えていた。

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めっちゃマッチョやん・・・キャラ濃いわ。

こんな感じで何だか全然小説家っぽくないんだけど、ノーベル賞候補になり、日本人で初めてアメリカの男性誌Esquire」の「世界百人」にも選ばれ、世界でも高く評価された人だった。

三島由紀夫の作品に多かったのが、古典をベースに新しく創作した小説や戯曲。そのひとつに『近代能楽集』がある。

『近代能楽集』は能の謡曲を近代劇にしたものだ。

全部で13曲あり、その中の2曲が『葵上』と『弱法師』だった。

『葵上』ってどんな話?

まずひとつ目の『葵上』。元々の話が源氏物語だとか、能の謡曲だとか、結局どういうことなん?と混乱してたら、こういうことらしい。

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葵上とは、光源氏の正妻だ。でも病に倒れてしまう。それは光源氏の元恋人・六条御息所の生霊が取り憑いたせいだった。そして葵上はついに死んでしまう。

近代能楽集の葵上

三島由紀夫の手にかかると『葵上』はこんな風に、現代を生きる人物へと変わる。

  • 光源氏   ≒ 若林光(美男子)
  • 葵上    ≒ 葵(光の妻)
  • 六条御息所 ≒ 六条康子(光の元恋人)

舞台は葵が入院する病室。光が看病していると、嫉妬心に満ちた六条康子の生霊が現れるのだ。

つまり『葵上』は、ドロドロの愛憎劇だった。

生霊になるなんて、康子の未練は相当強い。人間の嫉妬とか執念とか重たい愛とか、どす黒い感情がずっしりと押し寄せてきそうだ。それを目の前の舞台で観たら、どんな風に感じるんだろう。

現代の光源氏を演じる神宮寺くんも然ることながら、六条康子を演じる中山美穂さんの演技が気になってしょうがない。

『弱法師』ってどんな話?

"よろぼし"と読むこの作品。原典はこんな感じだった。

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能の『弱法師』では主人公の俊徳丸が、人の進言を信じた父親から家を追い出されてしまう。悲しみのあまり盲目となり、乞食として生きていた俊徳丸を父親が見つけ、家に連れ帰るという話だ。

近代能楽集の弱法師

近代能楽集になると、あらすじはかなり違う。

  • 俊徳丸 ≒    俊徳(戦火で失明した青年)
  • 父親  ≒    高安夫妻(俊徳の生みの親)
  •     ≒    川島夫妻(俊徳の育ての親)
  • 新キャラ    桜間級子(調停員)

家庭裁判所の一室で、川島夫妻と高安夫妻は俊徳の親権を争っていた。

高安夫妻のあいだに生まれた俊徳は5歳のとき、空襲の戦火で親とはぐれてしまった。失明し浮浪児となった俊徳を20歳まで育てたのが、川島夫妻だったのだ。

生みの親と育ての親。決着はつかず、調停員の桜間級子が俊徳を部屋に呼ぶと、俊徳はどちらの親も虫けらのように扱い異様な空気となる。そんな様子を見かねて桜間級子は俊徳と二人で部屋に残り、話をする。

窓から見える夕焼けに、俊徳は「あれはこの世のおわりの景色なんです」と戦火の記憶を語り始める・・・

二つの共通点

二つの「弱法師」は舞台となる時代も結末も違うけれど、盲目の主人公にはどちらも孤独を感じる。この世界の地獄を見て、社会から零れ落ちた人間の孤独。

でも色々読んでみると、どちらの結末にも俊徳がこれから過酷な現実に引き戻されてしまう予感があるという。

現代能楽集バージョンは、親と生き別れて戦火に遭い、これまで非現実的な人生を生きていた俊徳が肉親に引き取られれば、普通の境遇に戻ってしまう。ある意味、現実に戻される。

だから公式サイトで最後の台詞が「現実的なもの全てに対する敗北」と表現されているのだろうか。

とんでもない演目だった

過去の公演を調べると、弱法師は20年前に蜷川さん演出、藤原竜也が主演していてビビった。私だったらそんな作品、恐くて演じられない。

両親に対する狂気じみた態度や、「この世の終わり」を激しく悲痛に話す長台詞、神宮寺くんはどんな風に演じるのか。

そして印象的な最後の言葉。あんなマッチョな人が書いたとは思えない、三島由紀夫のセンスが詰まった台詞だ。

葵上は六条康子が舞台の空気感を左右するだろう。そして弱法師は、神宮寺くんの俊徳が空気感を作る演目だと思う。

こうやって自分ひとりじゃ切り拓かない新しい世界を知れるの、オタ活の醍醐味だな。

どちらもめちゃくちゃ楽しみだ。

グランピングの魅力に気づく

ブログを開設してから約5ヶ月間、週1回の更新を続けていたが先週初めてサボった。

というのも先週は、山奥でグランピングなるものを初めて経験したのだ。

会社の人に話したところ「なんかパリピっぽい若い人が行ってるやつじゃん」と言われた。かなり偏見の入ったコメントだけど、わからなくもない。インスタ映えしそうなイベントであることは間違いない。

一応グランピングの定義を調べてみると、”glamorous”と”camping”を合わせた造語。

一般社団法人日本グランピング協会によると

テント設営や食事の準備などの煩わしさから旅行者を解放した「良い所取りの自然体験」に与えられた名称

らしい。(こんな団体があるんや…)

なので、グランピングはどちらかというと「キャンプしてみたいけど準備はメンドくさい」という、怠惰な人向けのサービスと言うのが近いだろう。そのうちの一人が私だったわけだ。

行ったところ

今回、私が行ったのはここだった。

thecanyoncamp.com

この施設ではキャビンとテントが選べる。私はテントに宿泊した。

個人的に決め手となったポイントはこの3つ。

  1. 値段が高すぎず、丁度良かったこと
  2. ごはんが美味しそうだったこと
  3. 自然に近そうだったこと

前提として、グランピングは値段が高い。なんといっても"Glamorous"だから。一方で安すぎると、流行りに乗っただけのナンチャッテ感がある。

その点、THE CANYON CAMPは快適さとアナログさのバランスが丁度よさそうだな、と思った。そして結果的にTHE CANYON CAMPはとても良かった。というか、グランピングがめちゃくちゃ良かった。

特に印象的だったことを書こうと思う。

ごはんが美味しい

THE CANYON CAMPは夕朝の2食付きだった。テントの横にあるデッキまで、一式を運んできてくれる。

夜はお肉や野菜のBBQとハンバーガー。

どれも下ごしらえは済んでおり、自分たちは焼くだけ。食事が終わるとキャンプファイヤーで焼くマシュマロも出てきた。

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お肉やソーセージは風味豊かでジューシーだし、野菜も味が濃い。ハンバーガーはパテが最高だった。最後にしてガッツリのボリューム感にもかかわらず、するりと胃におさまる。

赤ワインを飲みながら、大げさではなく本気で「生きててよかった」と思った。

朝ごはんはパンケーキ、目玉焼きとベーコン。コーヒーは豆から挽く。

これも全て自分たちで焼くのが楽しかった。

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夕食朝食ともに、播州百日鶏やハーブソーセージなど、こだわりの食材が美味しかったのは間違いない。

でもそれだけじゃない気がする。

やっぱり、夜の涼しい風や朝の木漏れ日のなかで人と食べるごはんって、美味しさが倍増するんだと思う。

虫の声を聴きながら眠る

グランピングに来て一番驚いたのは、秋の虫の声の美しさだった。これまでもコテージなどに泊まったことはあるが、いつも夏だったから知らなかった。

コオロギやスズムシに加え、あまり聞かない高くて澄んだ声がする。何だろう、と思ったらマツムシだった。

寝床がテントだから、布一枚の向こうから聞こえてくる。数えきれないほどの虫の大合唱を聴きながら眠りに落ちる夜。都会に住む私にとって貴重な経験だった。

星空と朝日

ベタなことを書いてしまって申し訳ない。でも星空のためにグランピングに来たみたいなところあるし、やっぱり癒された。

いつもは見えない星が、実はこんなにたくさんあるのかと思い知る。私たちが普段、どれだけ灯りに囲まれて暮らしているかがよくわかる。

私たちが泊まったテントは施設の一番高台にあって東向きだったので、日の出がよく見えた。ガチのキャンプをするには厳しい立地だ。

いつもは早起きできないくせに、こんな時ばかりパチリと目が覚めるのはなんでだろう。

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山間から射す朝日が美しくて、ディダラボッチが後ろにいるんじゃないかと振り返ってみたりした。もっとも、こんな杉山にいるはずないんだけど。

何も持たずにキャンプ感を味わえた

こうして快適に1泊2日間、自然を味わいながら過ごすことができた。

快適といっても、トイレや洗面所が少し遠かったり、テントの空調が弱かったりと、高級グランピングに比べれば、多少不便なところはあっただろう。

でも完全装備じゃないのが逆に、キャンプ感が増してよかったんじゃないかと私は思う。

何の道具も食材も持たず、美味しいごはんが食べられて、しっかりした寝床で寝られるグランピング。

自然のなかでリフレッシュしたい、けどちょっぴり面倒だという人に、ぜひ次の休暇の行き先としてお勧めしたい。

歯が痛い

健康診断の季節だ。様々な年代が集まる私の職場は、体重の話でもちきりである。

私も、健康への意識は年々高まっていると思う。

そんななか、一番悩まされているのが歯である。

私は歯並びが決して良くないが、虫歯菌がもともと少ないのか、虫歯が一度もできたことがなかった。だが社会人になってしばらく歯医者に通わなかった時期もあり、ついに2年前、右上の奥歯に虫歯ができてしまった。

そのときの虫歯治療は、今でもトラウマである。

割と進行してしまっていたので、削って被せ物をした。一部とはいえ自分の歯がガリガリに削られて無くなるってこんなに辛いんだと思った。痛さでいえば親不知の抜歯がNo.1だけど、本来あるべき歯がなくなる方がはるかに怖い。虫歯治療をしてからというもの、いまだに私は歯を削られる・ボロボロになる悪夢を見てしまう。

二度とそんな思いをしたくないので、歯医者の定期健診は欠かさずに行こうと心に決めた。歯みがきもかなり念入りに実行し、フロスも時々使っている。※本当は毎日やったほうがいいです

なのに、最近歯が痛い。冷たいものも沁みるし、歯茎が腫れている気がする。

それに気づいた途端、「もしや虫歯では」という不安に駆られ、また歯がボロボロになる夢を見たので(メンタル弱すぎ)、すかさず歯医者に行った。

するとどうやら虫歯はなく、すべて歯ぎしりが原因らしい。

え、歯ぎしりで歯茎が腫れるの?と思ったが、歯ぎしりの力で歯肉に炎症が起き、歯周病が悪化するという。歯が痛いのも知覚過敏も、歯ぎしりで歯がすり減っているせいである。

歯ぎしりの影響*1

歯科矯正において、歯が動く力は3gからだといわれている。どうりで歯茎が腫れるわけだ。 

寝ている間に歯ぎしりをしている自覚はあった。歯ぎしりのせいで舌を噛んでしまうことも多い。治したいとは思っていたけど、ここまで悪影響があるとは思わなかった。

しかも睡眠中だけじゃなく、起きている間に口を閉じた状態で上下の歯が接触しているのもダメらしい。

それを言われてから意識してみたところ、私は歯が接触しているどころか、かなりの頻度で噛みしめていることがわかった。(社内がとんでもない納期を出してきたり、とんでもない見積を出してきたりしたときは特に強く噛みしめている)

それを知ってから私はマウスピースを作った。マウスピースもなかなか圧迫感が辛いが、なるべくつけて寝るようにしている。

でも今見てみたら、マウスピースの表面が削れてるではないか。

どんだけ噛みしめてるねん。

どんだけストレス溜めてるねん。

そんなに嚙む力を鍛えたところでどうしようもないのよ。不審者に襲われたときには、噛みつけるかもしれないけどさ。

歯ぎしりの行為自体を止めるには、顎の筋肉を弱めるボツリヌス注射を打つという手もある。顎に注射するなんて恐怖でしかないので避けていたが、真剣に考え始めている今日この頃である。

もし歯ぎしりの治療やったことある人がいたら、ぜひ教えてください。

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ネトフリの『キーパーズ』がしんどい

先日、会社の先輩後輩とネットフリックスの話になり、実はめちゃくちゃ色んなコンテンツが眠っていることに3人で気づいた。そしてまた「観ねば!!」という思いに駆られ、先週は狂ったように色々観てしまった。

そしたら、ストーリーが脳内で渋滞して消化しきれず…コンテンツを大量摂取するのはやめた方がいいんだなと反省しました。(そして先輩と後輩からおすすめしてもらった作品はまだ1作も観てないという薄情者)

そんな、私の脳内を爆発させた作品たちはこちらです。

  • 『リング』映画 →怖い
  • 『TENET』映画 →頭が疲れる
  • 『タクシー運転手~約束は海を越えて~』映画 →感動する
  • ハリソン・フォード 逃亡者』映画 →好き
  • 『メドゥサ、鏡をごらん』小説 →不気味
  • 『キーパーズ』ネトフリオリジナルドラマ →色々しんどい

チョイスのクセが強い。そして暗い。

しかも合間に、キラキラアイドルなキンプリの番組を観たり、精神が菩薩のような藤井風のYoutubeライブ配信を観るから混乱するのだ。あとモルカーも、高低差に耳キーンなったから合間はやめた方がいい。

この中で、特にやばかったのは『キーパーズ』だ。

キーパーズ | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

ソース画像を表示

やばかったんだけど、観るに値する重量感だったのでぜひ紹介させてほしい。

ただの殺人事件じゃなかった

『キーパーズ』は2017年に出たネットフリックスオリジナルのドキュメンタリードラマ。未解決事件の真相を追う系のやつだ。1969年に米国ボルティモアで実際に起きた、カトリック教会修道女の殺害事件を取り上げている。

「二人の女性が立て続けに、殺された」。

それだけ聞けばよくみる殺人事件だよなぁ、と思ってたら全然違った。

調べていくと、事件の裏には聖職者による子どもへの性的虐待が絡んでいるらしい。一番しんどい展開だ。被害者が語るエピソードが、あまりにも気持ち悪くて残酷で吐きそうになるので、覚悟したほうがいい。

しかもその事実は未だ公になってない。なぜなら、カトリック教会がずっと隠蔽しているからである。さらに言えば、教会だけじゃない。警察や、州議会も加担してる、多分。ここが『キーパーズ』の肝だ。

取材したかぎり、被害を受けたと証言する人は100人以上。1994年には告発もしていた。なのに、不起訴。そして告発された聖職者は結局、有罪にもならず教会に居続けた。

殺人事件の犯人はわからないまま、闇に葬られている。

やっぱ人間が一番怖いよ

シンプルに、めちゃくちゃ怖くないか。

何が恐いって、2017年になっても教会や警察や州議会が隠し続けてるのが怖い。公開資料を請求しても送ってくれなかったり、警察が昔回収したはずの証拠になりえる物を「ない」と言うのだ。平然とウソをつくし。怪しいことだらけだ。

腐敗した組織風土が、今も存在してるのが怖い。

絶対、今もどこかで何かが起きてると思う。起きなくなったとしても、つい最近まであったに違いない。

そして被害者が声をあげても、大きな権力のもとに揉み消されるという現実。でもだからこそ、ネットフリックスという民間メディアがこの事件をコンテンツ化する意義は大きいと思う。

宗教の是非に疑問を感じてしまう

聖職者の性犯罪って、歴史に出てくるような昔の話なら見聞きしたものの、現代でこんなに根深いとは…とかなり衝撃だった。

でも世界を見渡せば、各国で告発されている問題らしい。自分の無知を恥じた。

gendai.ismedia.jp

日本人だとあまり馴染みのない、教会や神父。カトリックの家庭にとって生活の一部ともいえる近い存在は、神主さんやお坊さんとも違う気がする。子どもたちにとっては、学校と先生みたいなものかもしれない。

正しいと信じている人から危害を加えられるほど、恐いことはない。

こういうのを知ると、宗教ってなんなんだろうな…と思ってしまう。

宗教の力を悪用できる土壌があるのはいかがなものか?恋愛禁止とかも、本来のヒトの生態に抗うからどこか歪むんじゃないか?という思考にどうしても至る。ただもちろん、宗教もひとつの価値観として尊重すべきものだとは思うので、難しい。

というか宗教の是非以前に、まだまだ課題の多い性犯罪への正当な処置を、日本も含めて整備するべきだろう。いつか、全てが明らかになることを願いたい。

次こそは

『キーパーズ』は、エミー賞でドキュメンタリー&ノンフィクション特別番組部門の作品賞にもノミネートされたらしい。

ネットフリックスオリジナルのドキュメンタリーというジャンルは初めてだったけど、膨大な取材量で、すごく時間と手間かけてるのを感じられた。見応えがある良い作品やった、心が沈むけど。

次こそは、もうちょい明るい作品を選ぼう…

ただミッドサマーが気になってしゃーない。観たい。

それはもうお礼じゃない

私の職場は、昭和な価値観を感じる瞬間もあるが、基本的には風通しの良いホワイトな職場だと思う。みんな部署の枠を超えて気にかけてくれるし、困ったときには助けてくれる人もたくさんいる。

ただ、どんなに良い職場でも人数が集まればその分、自分と価値観が合わない人が出てくる。それは避けられない。自分とは違う、とどこかで割り切るしかないんだと思う。

そんな風に「どうしても理解できない」とずっと前から職場で感じていたことがある。それは一部の人による、"お菓子をせびる"行為だ。

私は営業をやっている。営業の仕事というのは、当たり前だけどお客さんとのやり取りがほぼ全てである。どんなにこちらが調整しても、お客さんの都合で急ぎの対応が発生するのは、よくあることだ。

急ぎの対応は、営業ひとりで完結できないことも多く、社内関係者に協力を仰ぐことになる。

そんなときに「至急でやるから、その代わりお菓子買ってきてよね」なんてことを言う人がいるのである。

もしこれが仕事じゃなくてプライベートなお願いごとなら、私は喜んでお菓子を買ってくるだろう。わざわざ手間をかけてもらうのだから、そのお菓子は対価となる。

でも、営業がお願いしているのは仕事だ。その人はこの仕事をするために、会社からお給料をもらうのである。残業すれば残業代が出る。

もちろん、普段なら急いでやらなくていいことを至急でお願いしているので、労力は増える。申し訳ない気持ちはもちろんある。でもそれも含めて、仕事ではないか。

こちらから依頼する仕事にはすでに会社からの対価がくっついているのに、なぜ個人間でお菓子という対価の交渉が加えて必要なのか、意味がわからない。

私が推測するに、はじめは営業が感謝の気持ちをこめて、自らお菓子を買ってその人に渡していたのだろう。それがいつのまにか慣習となり、”お菓子を買って当たり前”になってしまった。

お礼をせびたら、それはもうお礼じゃない。

良い大人になってお菓子をせびるなんて、恥ずかしいと思わないのだろうか。卑しいと思わないのだろうか。その人の給与形態は私と違うかもしれない。でも、そんなに仕事量や給料に対して不満があるのだろうか。

お菓子をせびる相手は大抵、私のようなしたっぱではなく、管理職以上の役職者だ。私は、言われた上司たちが素直にお菓子を買ってくるのを見るたび思う。もう、買わなければいいのに。

でもそれは、私には到底理解できない価値観なだけである。それに今さら誰が指摘したとて、その人の中に恥ずかしい感情などが生まれることはないんだろう。だから私はこれからもきっと、お菓子が渡される光景を黙って見過ごして終わってしまう。

ただ、この先歳をとっても、どうなっても、同じような行動はとるまい。これだけは心に留めておきたい。

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嬉しかった、ただそれだけの日記

仕事帰りの夜道、私は久しぶりの爽快感を味わっていた。

打合せをめちゃくちゃスムーズに進めることができたのだ。打合せとは、大型プロジェクトの概算を算出するため、今後の進め方を決める社内会議だった。

これを人に話せば「なんだ、そんなことか」と言われるだろう。でも、今の私にとってはとんでもなくハッピー案件だったのである。

なぜ、こんなにも嬉しかったんだろう?

 

上司の手を借りず、私ひとりで進めたのが大きいのかもしれない。

今の上司は、仕事ができる上に面倒見が良い人だ。私が困ればいつでも助けてくれる。昨日の打合せにも同席してくれた。

そんな上司の存在はとても有難いけど、その存在に自分の無力さを突きつけられて辛くなるときがある。最近は、必要以上に上司を頼ってしまうことで自分が鈍っているのではないか?と不安にもなっていた。

でも昨日の打ち合せで、上司が言葉を発することはなかった。その事実は、私自身に何だか安心感を与えてくれた。

 

もうひとつはきっと、私のシナリオに沿って関係者を動かせたからだ。

打合せには、いくつかの部門やグループ会社から関係者が出席していた。私はそれぞれのメンバーと懸念点を洗い出し、対応について議論した。

そして最終的に、私は各関係者にどのように動いてほしいかを伝え、その通り合意することができた。これができたのは、事前に過去資料を読み直し、今後の進め方を私がイメージできていたからだと思う。

 

このプロジェクトは関係者の予定を合わせるのも一苦労なので、少しも時間を無駄にできない。

そんな中、私は打合せをグルングルン回し、積み上がっていた課題を時間内でキレイに消化できた。我ながら鮮やかだった。

終わって達成感に浸っていると、一緒に出席していた先輩が「打合せの進め方を真似したい」と言ってくれた。これも嬉しかった理由だ。

私が準備した叩き台や進め方が、今回の打合せを超えて波及した。自分のためにやったことだけど、それが人の役に立つならより一層、やってよかったと思う。

 

私はそんなに仕事ができる人間じゃないし、そんなにモチベーションが高いほうでもない。だから、打合せの舵を取ってくれる人がいればすぐ任せてしまいがちだ。

でも自分でやれば、うまくいったときの喜びがある。久しぶりにそれを肌で感じた夜は、止まっていた私のモチベーションに少し血が通ったような、そんな感覚がした。

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お風呂をサボりたい

今週のお題「サボる」

一日が終わり、スマホやテレビを観ながらまったりと過ごしている夜11時。この世で一番サボりたいのは決まってお風呂である。

お風呂ってなんでこんなに面倒くさいのだろう。

お風呂に入れば気持ちいいことは分かっているんだ。後悔することなんて、生きてきた中で一度もなかったし。特にこんなに暑い日は、ベタベタの汗をすぐにでも洗い流したいと思う。何より、清潔感を保ちたい。

なのに、こんな気持ちを凌駕するくらいの面倒くささが、お風呂にはある。

お風呂は入るだけでは終わらないのだ。化粧を落として、頭と体を洗って、水気を拭き、スキンケアをする。一番嫌な時間がドライヤーだ。ドライヤーの時間が長いのが嫌で、私はなかなかロングヘアにすることができない。

お風呂に入ってサッパリするあの状態にたどり着くまでのハードルが多すぎる。

 

そんな私だけど、自分の家に友達を泊めたときに悩んだことがある。

友達がお風呂に入っているのを待つ間、自分のベッドに寝転がろうとして思いとどまったのだ。

「お風呂に入っていない状態で、ベッドに入るのは世間的にアリかナシか」

そう、普段の私なら、洗う前の体でベッドの上を何時間もゴロゴロしている。ただ、ふと自分の生活を客観視したとき、それは世間の常識なのか?と疑問に思ったのだ。

我ながら、なんともしょうもない。しかも友達には別の布団を用意しているんだから、私が自分のベッドで何しようが関係ないのに。

でも見栄を張りがちな私。念のため世間の常識を確認すべく、わざわざググった。

「お風呂入らず ベッド」

同じことが気になる人は世の中にいるようで、ちゃんと記事が出てきた。まさかのCanCamの記事である。

cancam.jp

結果はこうだった。

  • 「すぐ入れます!」51.5%
  • 「キレイな体じゃないと入りたくない!」48.5%

こんなに僅差なことある・・・?何人にアンケートを取ったのかもわからず、かなり怪しい。調査方法を詳しく教えてほしい。でも世間には、お風呂入らずにベッドに入るのがOKな人も一定数いることが一応わかったのである。

友達がその流派であることを信じ、すぐベッドに寝っ転がた私だった。

 

こんなことを考える暇があればさっさとお風呂に入ってしまえばいいのに、今夜も私はベッドの上をゴロゴロとのたうち回っている。

お風呂が面倒くさくならない方法がないものか。

それ以前に、こんな怠惰な自分が何とかならないものか。

永遠の課題だ。

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