日曜日のなのはな

北極を探しにいく・日曜日更新+気まぐれ

ピアスをあける

腰が重いくせに、一度やると決めたことはすぐやりたくなるせっかちな人間、それが私である。

行きたいと思った場所には明日にでも行きたくなり、誰かを誘うことさえ待てずにひとりで行ってしまうときがある。欲しいと思ったものはネットですぐ買ってしまう。

土曜日は急にピアスをあけた。大学生の頃からずっとあけたかったのだが、怖くて実現できていなかった。でもこの前友達とピアスの話になり、なぜか「注射がいけるならピアスもいけるんちゃうか?」とふと思い立ったのだ。

こうなるともう止まらない。さっそく行きつけの皮膚科に行く。

お医者さんに「この位置にしか開けられませんがいいですか?」と言われてもオッケー。

ファーストピアスが少々ダサくてもオッケー。

なにしろ私は、一刻も早くピアスを開けたいのだ。

こうして数年間あけられなかったピアスは、3日であいた。

衝動

それにしても"思い立ったが吉日"を体現しているというのか、衝動に駆られるというのか。決心するやいなや急にスイッチが入るらしく、猪突猛進のごとく突き進んでしまう。

そんな性格もあってか、私は急な予定変更にとてもストレスを感じる。

お寿司を食べに行こうと約束していたのに当日になって急に「やっぱりパスタにしよう」と言われる、なんてことが受け入れがたい。

もともと行き先を決めていなかったならパスタでもいいのに、"お寿司"というゴールができた途端そこに真っ直ぐに進みたくなってしまう。言ってしまえばガンコ野郎なのである。

今日のランチの話ならそれでも良いかもしれないが、一度決めたことに拘りすぎるこの性格のせいで、いつか選択を見誤ってしまうんじゃないかと怖い。

スイッチが入った私は、何が何でも今すぐ目的を達成したくなる。それゆえに途中で「ん?」と違和感を感じても後戻りできなかったりするからだ。

仕事では時々「またやりかけた」と我に返るときがあるが、それでもこの癖はなかなか抜けない。

決めるまではあれこれ悩んで石橋叩いて割るくせに本当によくわからない性格だな、と自分でも思う。

ピアスの穴だって、勢いで変な位置にあけてしまうと取り返しがつかなくなる。ベストな選択は何なのか、都度考え直せるような柔軟性を持ちたい。

新しい景色

一方で、スイッチがないと私という人間はきっと永遠に動かず、また布団にこもる日々を送ってしまうだろう。だから、たまに生まれるこの衝動を大切にしてもいる。

衝動に身を任せることで、新しい景色を見ることができる。

私の耳で小さく光るピアスは、とっくに大人の私を、大人になったような背伸びした気分にしてくれた。ファーストピアスが外れたら、お洒落の幅も広がるだろう。楽しみだ。

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ネトフリでよくみる『セックス・エデュケーション』

年明け早々からいろいろあった私は、筆が進まないまま日曜日を4回も迎えてしまった。

でもそれはあくまでひとつの理由で、とにかく毎日寒すぎて何もする気になれず布団にくるまっていた、というのがもうひとつの理由である。

冬が来るたび、人間も冬眠すればいいのにと思う。年々、寒さに耐えられなくなってきたのは年のせいでしょうか…

では布団のなかで何をしてたかというと、今更ながら『セックス・エデュケーション』に見事にハマってしまった。Netflixのオリジナルドラマだ。

www.netflix.com

大学時代の友達に勧められたのだが、第1話を飛行機の中で観始めた私はアホだった。これは公衆の場で観ないことを強くお薦めする。

あらすじ

主人公はイギリスの高校に通うオーティスという男の子が、あるきっかけで秘密裏に「セックス・クリニック」を開き、性の悩みを抱える学生たちの相談に乗りはじめる、というストーリー。

主な登場人物はこんな感じ。

  • オーティス:おとなしい男の子。童貞。無神経な母親と、自慰できないことに悩んでいるが性の知識は豊富。
  • ジー:オーティスの母親。自宅でセックスセラピーを開業しているため、家が秘宝館みたいになっている。シングルマザーで、思春期ど真ん中のオーティスとたびたびぶつかる。ジーンの顔めっちゃ好き。
  • エリック:オーティスの親友でゲイ。いじめられても、下手なフレンチホーンで恥をかいても超明るくて大好き。
  • メイヴ:オーティスのクラスメイトの女の子。全盛期のアヴリルみたいな強めのメイク。聡明という言葉がぴったりで大好き。

他にも魅力的な登場人物が紹介しきれないほど出てくる。

飛行機で観始めた第1話はいきなり本番行為の場面から始まり、ビビった私は隣に座ってる男性の視線を急いで確認した。海外ドラマをなめてるとこうなる。

でもコメディドラマなので、思わず笑っちゃう。

男の子が精力剤を飲みすぎてとんでもないことになったり、悪戯でヴァギナの写真がばら撒かれたり。処女の女の子がエリックの家で急に上裸になって迫ってくるシーンは笑った。高校生にしてはかなりぶっ飛んでいて、時々心配になるが・・・

はじめは性相談の1話完結かと思いきや、どんどん複雑になっていく登場人物の人間模様に、続きが気になって一気に観てしまった。特にオーティスが誰と付き合うのか、誰と童貞を卒業するのかは要注目である。

性教育ドラマとしての一面

でも、笑えるだけじゃない。『セックス・エデュケーション』というタイトルだけあって、悩める高校生たちが打ち明ける性の相談は誰しもが通ったことのありそうな悩みばかりだ。それでいて、気軽に相談できずに鬱々と抱えてしまいそうな。

どの悩みも恥ずかしいものとせず、オーティスが真摯に向き合い、解決の糸口に辿りつくまでを丁寧に描いているところが良かった。

『セックス・エデュケーション』では、セックスすることを肯定的に捉えている。一方で、きちんと避妊しなかったカップルが不安になりながら避妊薬を買いに行ったり、中絶手術を受ける場面があったりする。ちょっとした場面に性の知識も散りばめられていて、これを高校生とかに見せたらめっちゃ勉強になるだろうなと思う。

個性が当たり前になっている

それ以上に感動したのは、様々な性や恋愛のあり方、嗜好が至極当たり前に描かれていることだった。

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー。全部網羅してるし、なんならいっぱい出てくる。物語の途中で思いがけない二人が恋人同士になったりする。

LGBTだけじゃない。一番驚いたのは、自作のSF官能小説をベースにエイリアンコスプレでセックスをする女の子だった。なるほど確かに、それもひとつの個性だ。そんな個性を恋人や家族がどう受け入れるか、といった点もドラマの見所になっている。

でも次々と登場する性愛の形に対して登場人物が驚く場面はない。少なくとも学生の間では「あらそうなのね」と、さらりと受け入れられている感じがするのだ。

最初はいちいち驚いていた私だったけど、途中からは驚いてる自分が変なのかなと感じてきた。シーズン3ではもう驚いていなかった。

巷ではダイバーシティだ、多様性だと謳われているけど、わざわざ掲げて謳うこともなくなるのが目指すべき世界なんだろうなと思う。当たり前じゃないとされてきたものを当たり前にしていくって、改めてすごく難しい。

みんな中身の個性も強ければ、見た目や体型もバリエーション豊かだ。見た目によってスクールカーストがあったり、いじめられたりもするのだが、垣根は物語が進むごとに薄れていく(普段お互いに関わらない女の子たちが、居残り課題に取り組むことで絆を深める場面がとても好き)。

外見も内面も個性に溢れた登場人物たちがみんな、自分に誇りを持ってキラキラ輝いているのが素敵だった。

日本の学園ドラマはアイドルみたいな女の子とアイドルみたいな男の子がいっぱい出てくるイメージだが、『セックス・エデュケーション』を観ると色んな人が出てるドラマがもっとあっても良いのにと思ってしまう。もっとも最近は学園ドラマ自体が少ない気がするけど。

自分の意志を貫いてもなんとかなる

登場人物たちは、意志も強い。自分のやりたいことや好きなことに対してまっすぐに進んでいく。高校生のオーティスたちは悩んで迷って、遠回りしながら行き着いているのだが、個人的には母親のジーンが一番迷いなく、我が道を進んでいる気がする。

オーティスが幼い頃に離婚したジーン。その後の自由奔放な恋愛にオーティスが腹を立てたり、それを知ってジーンが悩むこともある。でも自分への素直さと周りとの誠実な関係を両立させているジーンを見ていると、どんな家族の在り方でもなんとかやっていけるんだなと思う。(周りを傷つけてしまうこともあるけど)。

ジーンをはじめ、誰しも自分の意思を貫くことで、友達や家族や恋人とぶつかる場面が多々ある。でも最後には本音で話し合うことで良い方向に向かっている姿を見ると、勇気をもらえた。

次シーズン、待ってる

タイトルにギョッとした人には、『セックス・エデュケーション』が恋愛と友情と家族のドラマであることをぜひ知ってほしい。

たくさん笑って泣いた後に、もっと自分をオープンにしていったらいいんだと、ふっと気持ちが軽くなった。シーズン4を心待ちにしている。

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2021年の漢字(ポジティブ編)

いつからか一年が終わる頃、私は自分の「今年の漢字」を選ぶようになった。

今年の漢字

2021年の漢字は「繋」を選んだ。私にとって多くの人と繋がり、新しい交友関係が広がった1年だったからだ。

オタ活を通して新しい友達ができた。

キャリアの相談をするなかで、今まで全く関わりのなかった部門の人と素敵なご縁ができた。

学生時代の友達と再び連絡することが増えた。

そうなった背景には、ある出来事がきっかけで私のマインドが変わったのも大きい。

今まで友達は少なくていいと思っていたし、だから交友関係には受け身の姿勢だった。

でも自分から動くと、意外にも喜んでくれる人がいるとわかった。私も楽しかった。新しい世界が広がっていいもんだなと実感した。

友達100人作ろうとは考えてないけど、自分から動いてみることはこれからも意識したいと思う。

ブログを始めて知ったこと

そしてこのブログも、私に新たな繋がりを増やしてくれた。最初はどこまで継続できるか疑わしかったが、なんとか続いている。

ブログでひとつ得たのは、多少雑でも定期的な更新を続けてきた自分に対する小さな自信だ。(サボった週が時々あったのは見なかったことにする)

一方で、初めて知った葛藤もある。

誰かに読んでほしい。でもしょーもないと思われるのが恐い、という矛盾した感情があった。初めはツイッターに投稿するつもりじゃなかった。でも人に読まれる緊張感は、文章を磨く動機になる。しょーもないと思われたなら、次読む人には面白いと感じてもらえるよう書くまでだと、発信を続けた。

自分の文章を書いているつもりでも、どこかで読んだ誰かの文章を受け売りしているだけではないか?という不安。

ユニークな文章を書くことが、いかに難しいか痛感した。アイデア、表現、何においても独自性を作り上げるのはめちゃくちゃ大変だ。作家さんたちの凄さを身に沁みて感じた。

自分の心の声を書ききれないまま、途中で面倒くさくなって無理やり結論を作ってないか?とも思った。

綺麗に着地させることなんていくらでも出来るけど、それはなんか違う。でも自分の中に湧き出た相反する感情を文字に起こせないまま、いつまでも下書きに残っている記事の骸もいっぱいある。

来年

なんてあれこれ思いつつ、毎週日曜日になると勇気を出してエイっと投稿した。

すると長らく会ってない友達が「実は愛読してる」と連絡してくれたり、顔も知らないはてなブログの人たちがスターをくれたりした。私の文章は、色んな人と繋がるきっかけになった。

文章を書くのは難しい。でも楽しい。

そしてこんな青臭いブログを読んでくれる人がいることがなによりも嬉しい。

ただの趣味でやってるブログだけど、どの記事もそれなりにこだわって書いた私の分身だ。空振りだらけだった2021年に私が唯一打てたバントかもしれない。

そして来年はこのブログが、もっと繋がりの広がる場になればいいと思う。

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2021年の漢字(ネガティブ編)

いつからか一年が終わる頃、私は自分の「今年の漢字」を選ぶようになった。

今年の漢字

2021年の漢字は「空」を選んだ。

今年は色んなことが空振りした1年だったからだ。

周りの友人が結婚や出産、転職とライフステージを登っていき、経験値を積んでいく。そのなか私ひとりだけはずっと足踏みしてるみたいな焦りが拭えない。

だから今年は、ひょんなことから知った活動を本腰入れてやってみるか!と決心したこともあった。でもすぐにその活動が思ってたものと違うと知り、何も始まらないまま手を引いた。

活動の本質を見抜けなかった自分にショックだった。でもそれ以上に、結局私は他力本願で、自分で覚悟を決めて頑張ろうとしていなかったことを痛感した。盛大な空振りだった。

仕事での空振り

仕事でも大した成果を出せなかった。12月なんかはむしろ、最終月にして最も波乱に満ちた月だったと思う。

私が主担当として進めていたプロジェクトは、今月にいよいよ契約というフェーズを迎えていた。それなのについ1週間前、一番肝となる主要機能を入れないと客先の上長から言われてしまったのだ。(それ以外にも色んなピンチが起きたが、ここでは割愛する)。

金額もがくんと落ちるようなドンデン返しをくらったが、私はそのピンチを乗り越えられるようなリカバリができていない。色んな人に助けてもらってばかりだ。申し訳なさと自分の無力感が空しかった。

極めつけは今後のキャリアプランの話。

私が勇気を出して異動希望を会社に出したのは秋のことだ。色んな人に話を聞いて相談し、悩んだ末の決断。だが年末の最終日、その検討が白紙になってしまった。

白紙になったのは誰のせいでもない。ただただ、どうしようもない。でもまた空振ってしまったと、その日は少し落ち込んだ。

プライベートでの空振り

プライベートも空振りは続いた。

キンプリのファンになってから初めて、岸くんに一度も会わない年になってしまった。ライブがあるたびに僅かな希望を抱いて申し込み、落選の文字を見る繰り返し。

それでもSexyZoneのライブや神宮寺くんの舞台には行けてありがたかったが、やっぱり岸くんに会いたかったなぁと思う。馬鹿みたいだけど落選が辛すぎて、一時期はジャニオタを続けるか本気で悩んだ。

 

普段の私は、自分から動き出すことが少ない。そんな私にしては、何かしら行動を起こしてみた年だった。でも見事に三振。思い返せば笑っちゃうほど何も進んでない。

だからといって、100%頑張ったかといわれると微妙だ。やってみても上手くいかないから、全部がめんどくさくなって投げ出している時期もあった。そうやって中途半端な気持ちでやるから空振りするんだと思う。

これで今年分の膿を吐き出した。少しでも行動を起こしたことは評価するとしよう。嫌気がさしても諦めず、来年もバットを振り続けるしかない。

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変わらないまま、変わっていく

6年ぶりにサカナクションのライブに行った。

魚民(ファンの呼び名)と自称するには恐れ多いが、高校生の頃に友達から『アルクアラウンド』を教えてもらったことをきっかけにずっと聴いている。美しいメロディーとカッコいいアレンジが大好きなのだ。

そんなサカナクションのライブは、レーザーライトなどの照明演出にすごくこだわっている。没入感がハンパなくて、6年前のライブは印象に強く残っていた。

今回のライブは『SAKANAQUARIUM アダプトツアー』。演出には舞台の要素もあるらしく、どんな感じになるんや?と思っていたら、没入感は健在。むしろパワーアップしていた。

◯億円かけて建てたらしい(?!)アダプトタワーという巨大セットで、女優の女の子が舞う。両側のディスプレイに映される映像。包み込まれるような音響。そして照明の全てが組み合わさると、まるでMVの中に入り込んだような心地がした。

名曲『目が明く藍色』は一本の映画を観るほどの充実感。気がつけば涙が流れていた。なにに感動したとかいう説明がつかない。ただひたすら音楽に心が揺さぶられて出た涙だった。

終始、美しくカッコいいサウンドを全身に浴びて頭がクラクラする不思議な時間だった。

円盤化されていない最新曲から代表曲まで休みなく続き、あっという間にアンコール。MCではメインボーカルの山口一郎さんがサンタコスで登場し、会場が湧く。

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僕たちがデビューした15年前の曲です、と『三日月サンセット』『白波トップウォーター』を歌ってくれた。大好きな曲だ。

最近のサカナクションとはまた少し違う雰囲気に、山口さんが『ミュージック』という曲の解説で話していたことを思い出した。

ミュージックの歌詞はこんなフレーズで終わる。

いつだって僕らを待ってる まだ見えないままただ待ってる だらしなくて弱い僕だって 歌い続けるよ 続けるよ

「歌い続けるよ」って少し青臭いし、若いときしか説得力がないよね、と山口さんは言った。だからあのとき、この曲を作って良かったと。

山口さんが作る音楽はどれもそのときしか生まれないものだ。山口さんの一瞬の叙情を切り取った、かけがえのないもの。

それはどの芸術にも通じる。

アーティスト達はそうやって、すぐ通り過ぎてしまう叙情をつかまえ、磨きあげて芸術という形に残す。

15年前のサカナクションと今日のサカナクションは違う。その儚さと、それでも曲を通して15年前のサカナクションの欠片を感じられる嬉しさで胸がいっぱいになった。そして、人生の時間を削って芸術を世に生み出してくれるアーティストへの尊敬の念も。

最後のMCで、山口さんはコロナ禍の2年で感じたことを語った。

コロナによって、毎日通勤していた私たちの生活はステイホームに変わった。アーティストである山口さんはそれを見て、自分とファンの生活スタイルが近づいたと感じたそうだ。みんなと共有できる感覚の範囲が広がったのではないかと考えたという。

これまでのCD+ライブとは違う、今の生活スタイルに合った表現方法ができないかと、オンライン配信とリアルライブを組み合わせた今回のツアーを考えた。オンライン配信で新曲を披露し、リアルで観たい人はライブで再び聴く。そこに新しい見え方が生まれることを狙った。

「変わらないまま、変わっていきます」と山口さんは言った。

その言葉はまさに私が半年前に綴った、サカナクションが好きな理由だった。

sundays-flower.hateblo.jp

そして観た、今回のライブ。6年前のライブとも違う、新たな感覚に私は驚いた。

もしかしたら、山口さんの考えが高尚すぎてその全てを理解できていない時もあるかもしれない。そうだとしても、これからも変わっていくであろうサカナクションの「その瞬間の芸術」は私を新鮮な感動に導いてくれるはずだ。それについていきたい。

そんな、これからの期待とワクワク感を抱かせてくれたエンディングだった。

 

最後に。山口さん、グッズ買いました!!!

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ロマンチスト小学生女子

今週のお題「忘れたいこと」

忘れたいことなんて、人に言いたくないことがほとんどでは?と思うのだけど、かろうじて時効になった小学生時代の出来事を書こう。

幼い私はセーラームーンが大好きで、うさぎとまもちゃんみたいな恋愛に憧れる、夢見るロマンチスト恋愛脳だった。

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ちなみにまもちゃんはうさぎの恋人であり、タキシード仮面であり、プリンス・エンディミオンの生まれ変わりであり、未来のキング・エンディミオンである(ややこしい)。

幼稚園のときは好きな男の子を追いかけまわし、ハートの形の石を砂場で見つけると家に持ち帰って恋の成就を願掛けしたものだ。(これも忘れたい黒歴史である)

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小学校にあがってもその性格は変わらず、私の「まもちゃん」を常に探していた。でもそれは恋愛感情というより、クラスの中で一番お気に入りの男の子を見つけては友達と共有しあうような、そんな感覚だった。

友達との恋バナのネタになるだけならまだ平和だ。

ただ、それだけで終わらなかった。

小学2年生になり、私の「まもちゃん」は松本くん(仮称)という男の子になっていた。猫目の普通の男の子。当時の私の乙女心にその子の何が刺さったのか、今となってはわからない。

ただ、それまで男の子に逃げられてばかりだった私が、今回はなんと二人でデートする約束をとりつけたのである。いったいどういう経緯でそうなったのかは謎だ。

そして当日。松本くんと私は、小学校の前の公園で待ち合わせた。

しかしどこから聞きつけたのか、クラスのガキ大将たちも公園にいたのだ。

逃げようとするも、からかって追いかけてくるガキ大将たち。あちらは5,6人ほどいるもんだから太刀打ちできず、松本くんと私は取り囲まれてしまった。

ガキ大将たちが私たちを囲みながら「キース!キース!」と連呼する。小学生男子の典型的なあおりが、今思い出すとおかしい。

するとあろうことか、松本くんが私の頬にキスしてしまったのだ。

その瞬間私は、飛び跳ねるように輪から抜け出した。この時点で号泣。なぜ松本くんがガキ大将のあおりに乗ってしまったのか全く理解できなかった。

腹立たしいやら恥ずかしいやらで涙が止まらず、ボロボロの顔で公園から逃げ帰った私は、一体どんな顔で帰宅したのだろうか。親に心配されそうなものだが、それも覚えていない。

ついに成就したかと思った恋はあまりにも苦い思い出となり、私は自分の中で闇に葬った。

しかし数年後、この思い出が再び私を苦しめることになる。

この出来事からほどなくして、私は一時的な親の転勤で引っ越すことになった。同じ街に戻ってきたのは中学3年の春。

戻ってきたとはいえ、5年も経てばほぼ転校生。人間関係が完成されているこの時期に、果たして馴染めるのか?ただでさえ不安なのに、松本くんもガキ大将も順当に同じ中学校に進学し、隣のクラスにいた。

そして私が懸念していた事態は思ったより早くやってきた。

転校して2週間ほどたった頃。ガキ大将がにやにやしながら、松本くんを引きずるようにして連れてきたのだ。

「松本連れてきたで〜」「付き合わんでええん?」

あ、この1年終わった。私は凍りついた。

止める気配がないガキ大将に私は耐えきれず、泣きそうになりながら面と向かって言った。

「そういうの、やめてもらえませんか?」

同い年なのに、緊張してなぜか敬語。言ったところでエスカレートしたらどうしよう。怖くて死にそうだった。

ただ、意外にもガキ大将はあっさりと引いてくれて、その後卒業するまでからかわれることはなかった。いじめられることもなく、楽しい1年を過ごせたのは奇跡だったと思う。こうしてようやく、苦い思い出は闇に葬ることができたのだった。

なんだか私が苦しんだように書いてしまったが、すべて自分が蒔いた種。これを書いている今も恥ずかしくてしょうがない。

そしてロマンチック恋愛脳だった私のせいで、被害を被ってしまった松本くんには大変申し訳なく思っている。どこかで元気に過ごしていると願いたい。できれば会いたくはないけれど…

「勤務地」という壁

フリーにはたらくこと。

まさに私がここ数年ずっと悩んでいるテーマだ。

今の私が求めるフリーな働き方とは「場所を選ばずにやりたい仕事ができること」だ。

私は、北海道から沖縄まで全国に拠点があるような会社で働いている。将来は結婚したいし子どもがほしいが、仕事は続けたい。でもこれを実現しようとすると、「勤務地」という壁が立ちはだかる。

最近は共働きが当たり前になった。私の周りにも共働きの人はいて、夫婦ともに上手く転勤できた人もいれば、単身赴任を続けている人もいる。そして、希望の勤務地に行けなかったために辞めた人もいる。

友達や職場の人と話すたび、夫婦が一緒にいながら働き続けることの難しさと、深刻さを痛感する。

じゃあどうすれば、住む場所が変わっても働き続けられるだろうか。

場所に応じて職場を変える

例えばパートナーが転勤となったとき。自分が場所に応じて職場を変えるのは、ひとつの方法だ。

その土地の会社への転職でもいいし、私なら全国にある拠点に異動するという手段もある。

ただ、この考え方は「やりたい仕事をする」を実現できるかは少し微妙だなと思う。

正直にいってしまえば、都心を離れると選択肢は圧倒的に減る。もしやりたい仕事が引っ越す場所にあるなら素敵だが、そうとは限らない。またスピード感があって規模の大きい仕事をしたい場合、そんな仕事はどこにでも転がってるわけではない。

場所に縛られずに仕事をする

そう考えると、例えば東京の仕事を沖縄でもやれるような、そんな働き方がいい。それが今私が求める「フリーな働き方」だ。

以前なら、そんな働き方は一部の特別な人向けという感じがした。でもコロナ禍でテレワークが進んだ今、特別感はかなり減ってきたと感じる。きっとコロナが収束した後の世界にもテレワーク文化は残るはず。テレワークが定着すれば、私が求める働き方はもっと当たり前になるだろう。

そう信じて「場所を選ばずにやりたい仕事をする」ことを軸に将来を考えている。

遠方でテレワークをやってみた

ちなみに今の職場で、自分の住まいを離れてテレワークをやってみた。実際にやってみると少し大変なこともある。

私はテレワークが少し苦手だ(今どきの感覚とは逆行していると思う)。自宅より会社の方が集中できるし、電話やチャットよりも直接話す方がラクである。でもそれを払拭して、どんな環境でもパフォーマンスを維持できるように慣れていきたい。

緊急事態宣言が明けた今の状況下で、自分だけテレワークでも上手く仕事を回す。これも少し難しい。私の職場は通常運転に戻りつつあり、出社も増えた。全員フルリモートだった去年の春とは違い、今は現地とリモートのハイブリッドで打合せすることもある。そんなとき、リモートでもスムーズな振る舞いや調整をできるようになりたいものである。

一番難しいのはやはり、お客さんと対面で話せないことだ。遠い場所に住んでいたら、飲みにも行けない。究極の営業なら非対面であってもお客さんと関係を築けるのかもしれないが、私の力量ではなかなかそこまで至っていないのが現状だ。

テレワークのやりやすさは、どうしても仕事の内容や職種によっても変わってくる。テレワークで感じたひとつひとつの課題は、自分のキャリアを改めて見つめ直す材料にもなる。

自分の理想の働き方と自分がやりたい仕事がリンクするキャリアを見つけだしたい。

 

会社では最近、遠隔地からでも勤務できる制度ができた。もしかしたら基本の勤務ルールだって、変わるかもしれない。

私が思い描く「場所を選ばずに好きな仕事をやる」は、そう遠くない未来のはずだ。